
この記事は、沈没間近な水那田の別アカからのサルベージ。投稿はひと月ほど前のものです。
♪自分っぽい最強魂ソング
近頃めっぽうスピッツやSHE’Sばかり聴いてBUMP OF CHICKENは『aurora arc』で止まっている。そして今でも私は昔の楽曲が大好きだ。大大大っ好きだ。日本中にあふれるほどいるコアなファンを差し置いて、今から勝手な私的感想を書くけどお許し頂きたい。
BUMP OF CHICKENの数ある推し曲の中ダントツで「ああ、自分そのものだ!」と感じられる曲がある。
それはやっぱり、どこまでいっても『Sailing Day』なんだ。今日はこの曲に対する私の熱い思いと関連エピソードを書く。
(この曲は某有名アニメの映画版テーマ曲だと知ってるが個人的には関係がないためそこには触れない。)
私は暴力のある母子家庭で育ったせいで三十代前半まで、極度の社交不安障害、アダルトチルドレンなど精神上の問題をたくさん抱えてきた。それらを自分一人で解決してきた。猛烈に情報を探り、様々な経験をして、私と全然違うタイプの人の人生に触れ、人の心の成り立ちや世の中の仕組み、社会の力関係や物事の因果関係などを私なりに考察、熟考、実践しながら、どのように克服してゆけばいいかをとことん一人で考えやり尽くした。大人や専門家に一切相談しなかったのは私の問題の背景にある理由を理解してもらえるはずがないのを知ってたから(詳細はいずれ書く)。
そんな私が社会で生きていくには、挑戦、挑戦、また挑戦。闘いの連続だった。恐怖と向き合い、怯ひるまず前へ進む。文字通りの精神問題を抱えたまま進むことは険しい道だ。身体中に恐怖の電流が走り目眩がした。額と手のひらに滲んだ汗の量。バクバクと今にも飛び出てきそうな心臓。緊張と不安。足がすくむ。……それでも私は負けなかった。どんなに苦しくても踏ん張り独りで闘った。苦しい過去や自分を痛めつけた人間を決して責めなかった。「生きづらい」なんて愚痴も言い訳もしなかった。一人暗い部屋で涙を流すだけ流したら、あとはひたすら前を向いた。だからこれほどに強くなれた。弱さのどん底から這い上がってきた。それほど過酷な道だった。困難とどう向き合ってきたか誰にも本当のところは話さずここまで成長してきた。三十代半ばまでそうだった。
そんなある日、当時家族単位でよく交流していた十個下の男の子が(これはタブーの恋の味)なぜか突然うちの家のドアを叩いて、「これ、聴いてみて」と一個のカセットテープを私に渡してくれた。玄関先、彼の背後から夕陽が差し込んでいた。それはビニール袋で無造作に包まれていた。私は突然のことに面食らったものの堪らなく嬉しかった。そのテープを受け取り袋を開け早速プレーヤーにセットして聴いてみた。……流れてきたのは、BUMP OF CHICKENの『ガラスのブルース』だった。聴いたとたん一瞬で猛烈に好きになった。そのあとも最高な曲がたくさん続き、夕暮れの私の部屋をロックの力強いサウンドが満たしていった。

あの日から私は、甘酸っぱい感触に導かれるかのように、BUMP OF CHICKENに夢中になった。聴く曲聴く曲刺さりまくるフレーズの連続で、詩と曲を書くボーカリストに心酔した。彼が紡いだ歌詞には私が内面に獲得してきた勇気を歌ってるように感じるものが本当に多くあった。どれもこれも心躍らせ涙を流しながら聴いた。本当にどれだけ泣いたやらしれない。中でもこの曲ほど『私の生き方そのものだ』と感じられた曲はない。
自分にしか見えない光。夢を胸に携えて嵐の海に嬉しそうに船を出す呆れたビリーバー。たった一度笑うためだけに幾度の苦しみを体験し、何度も何度も涙を流す。たった一つを掴むためだけに幾つもを失う。たった一秒生きるためにいつだって命懸け。
そうだよまだ 僕は僕の 魂を持ってる
たった一秒生きるために
いつだって命懸け 当たり前だ
当たり前だ、──の部分が最高だ。
いつだって命がけで生きてきた。
それだけが私の誇り。

職場の同僚や知り合いとカラオケに行くときつい私がこれを選曲し熱唱してしまうと驚かれる。私は周りから大人しくて穏やかな人と思い込まれていて、当然こんな嵐のような内面は誰も見抜いていない。心の奥を見抜ける人なんて世間にほとんどいないのだ。ツイッターのプロフのアドレスはいつだってBUMP OF CHICKEN一色なのに(去年までは「星の隅で〜継続中です♪」だった)。

『Sailing day』は、私の過去の闘いを全肯定してくれる。聴くたびに私は私の中に巻き起こった数々の大嵐と、嵐の海に怯まず乗り出していった己の勇気を思い出す。この曲は何もかも、わたしそのもの。
藤原基夫央氏とバンプに感謝している。そしてあの日、なぜか私に突然カセットテープを届けてくれた……長い人生の中たった一度だけ味わった甘く切ない感情、それを抱きしめた二年の月日。なぜあの日あの人が私にカセットを届けにきてくれたのか。今でも理由はわからない。でも私にはバンプが必要だった……本当に必要だったのだ……。

ところで私の知人でロック好きがあまりいないのはなぜだろう。
君はロックなんて聴かないと思いながら
少しだけ僕に近づいてほしくて
この曲はあいみょんの中でダントツに好き。『僕の心臓のbpmは190になったぞ』のとこが特に。
♪「音楽好き」の幅
16歳のときビートルズに「ど」ハマりして朝から晩までビートルズのアルバムを片っ端から聴いていた。音楽好きなら普通なのかもしれないが(笑) コンプリートブックも読んだ。大人になってからは Oasis が好きで、自分で書いた小説にも『ドンルク』とか曲名の愛称を出してしまってる。──再結成、熱い。ポップももちろん。ビリージョエル、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、あの辺りはガッツリ聴いたし、好き過ぎてこれもまた自分の小説に閉じ込めてしまった。アメリカ人で一番よく聴かれるジャンル、カントリー音楽も大好き。ジョン・デンバーの曲を知人の結婚式で弾き語りした。洋楽も邦楽もロックやポップスで好きな曲とアーティストはたくさんある。近頃はR&Bのリズム系が浸透してきて正統派ロックを継承してるバンドが少なくなってるような気がするけど。スピッツありがとう。
ただ私は一般的な音楽好きの人とは少々違っているかもしれない。Jポップはもちろんのこと、洋楽ロックから日本のバンドまで好きなだけでなく、(クラシックはまあ誰でも好きな曲あるだろうけど)童謡もものすごく大好きなのだ。日本の唱歌や沖縄地方の民謡には並々ならぬ想いがあるし、古今東西のワールドミュージックについては語り尽くせないほど熱狂的な愛情がある。南米のフォルクローレからハワイアン、フィンランド音楽やユダヤ音楽、イランや中央アジアやジプシー音楽、ケルト音楽にはライブに行くほどはまり、果ては宗教音楽グレゴリオ聖歌までを愛聴している。属していた組織ではいわゆる讃美歌をおそらく誰よりも愛していた。大きな声で歌いメロディーが好きすぎて関係ない時にも常に歌っていた。
そして自分でも「自分の曲」を作ってギターを弾いて歌う。パソコンでも音楽をたくさん作った。好きなジャンルも、音楽の歴史も、作詞作曲も、演奏も、幅広く強く音楽を愛するタイプの音楽好きの人に、自分以外になかなか出会えない。みな音楽といえば、専ら好きなアーティストや曲の話に終始する。あるいは特定のジャンル幾つかに凝っているとかだ。子供の頃、自分で作ったメロディーの教え合いっことか誰かとしてみたかった。
私は、自分が死んだら音楽葬をしてほしい。いなくなった後のことは本当はどうでもいいのだけど、そんな妄想をしてみるのが楽しい。すでにリストまできちんと用意している(笑)まあそこそこ真剣にそう思ってる。人生最期の瞬間も音楽に包まれて逝きたい。これは本音。
というわけで今日はここまで。
にしても、なぜ好きな曲ではいつも「Bメロ」に私の人生スローガンなフレーズが集中するのだろう? 不思議だ。次回はスピッツの好きなフレーズとかを書いてみたい。
サルベージ