『すまん、サキ。高城のことなんだけどさ、実は——』
充からの突然の国際電話。話の一部始終を聞き、俺の喉は風を切る。
咄嗟に高城に電話するが、繋がらない。
その後はすがるように何度もテキストを打つが、祈りとともに送ったメールに返事が来ることはない。
――その後のイギリス生活は地獄のようだった。両親曰く「生きた屍」と化していたらしい。
正直、最初は充にも腹が立った。俺の気持ちを勝手に推測して、高城の友人に打ち明けた。
それだけで、俺の行き場の無い感情が沸き立つ。
だけど充に罪はない。その場に偶然高城がいるなんて、誰も予測できないだろう。
ただタイミングが悪かっただけだ。そんな事はわかってる。
――悪いのは、ずるずると高城への想いを引きずっていた自分。
高城に、自分自身を不憫で、哀れで、気の毒だと思わせた俺。
「くっ………!」
――――誰か、俺を罰してくれ。
俺の嗚咽と涙は、握りしめた携帯の液晶に当たり、弾けて消えた。
【題:Harvest】
12月後半。高校最後の2学期の終業式が近い。
一応学校は24日の金曜日まであるが、俺の高校は県内でもまあまあ上位の進学校のため、受験科目の指導要領分は11月までにほぼ終わっていた。
よってこの時期の授業の半分は自習になっている。
センター試験が近いヤツは塾の課題や赤本を一心不乱に解いていたし、学校推薦で合格したヤツは寝ていたり、自主勉しているヤツの邪魔にならないよう漫画を読んでいたりする。
そもそも出席日数が足りてるヤツは授業に出てこない。
そんなわけで、学生生活最後のクリスマスが近いというのに、クラスには半数くらいの人間しか出席していなかった。
当然素敵なイベントが待ってるわけでもない、青春なんてこんなもんだ。
そんな中、俺は惰性的に……いや、機械的に登校していた。
理由はない。学校に行けば、高城と偶然すれ違うかもしれないと思っていたかもしれない。
自分のことなのに、それすらも曖昧だった。
「寒いな」
登校中、充がマフラーに鼻を埋める。寒いというわりには、コートも手袋もしていない。
理由はなんとなくわかる。「寒い」という呟きは、この時期の場つなぎに丁度いい。それだけだ。
「…………おう」
「今日の2限と3限、自習だろ? どっちか時間あるか?」
「ああ」
「こないだ話してた不定積分の問題、あれについて話したい。一応解けたけど、解答に時間がかかりすぎる」
「ん」
「塾講師の説明も納得いかん。あんなんじゃ試験本番であっという間に時間切れだ」
「おー」
俺の帰国後、充は真っ先に謝りにきた。充は何も悪くないのに、お人好しなヤツだ。
俺は「お前が気にすることない」と答えた気がする。
これ以上この話題に触れたくなかったので、早々に話を切ったことを覚えてる。
そんなわけで、今も充とはうまくやっている。
最近は「話聞いてるか?」とか「不愛想だな」と注意されることも多いが……そうか? 前からこうだっただろ。
とりとめない会話を続けていると、頭上にチャイムが流れる。あと5分で始業の合図だ。
靴箱を通り、右横にある階段へ急ぐ充。俺はそのまま直進する。
「サキ、また行くのか?」
「ああ」
「わかった。教室に来るときは連絡しろよ」
「ん。3限には行く」
充は俺の返事を聞く間もなく、階段を駆け上がる。
出席日数も足りているのに律義なヤツだ。本人は内申点のためだと言っているが、あれはもう性格だろう。
そんなことを思っているうちに、2回目のチャイムが鳴る。始業開始の合図だ。
教室に学生がひしめくので、廊下や階段は静まり返る。なんとなく特別感のある時間だ。
――高城も2年の教室にいるのだろう。
俺は耳を澄まして、遠くに思いを馳せる。
……だけど、今の俺は、高城のそばにいる資格なんてない。
脳が切り替わると、自動的に足が進む。
俺はそのまま、図書室へと向かった。
***
授業の時間は誰もいない図書室。
俺が登校している間は、ここにいる事が多い。
授業中は受付の図書委員もいないので、ほぼ1人で独占できるからだ。
少しカビ臭さが混じったような、静かな匂い。なぜか心が落ち着く。
専門図書の分野まで進むと、入り口から死角になっている、誰にも邪魔されない小さな分室がある。そこが俺の定位置だ。
俺は適当にピックアップした本を積み、無差別に読みふける。
本は偉大だ。叡智の結晶だ。
先人たちが知識や考え、想いを詰め込み、文字になって整然と並んでいる。
物理基礎、生命科学的思考、若きウェルテルの悩み、徳川家臣団の系譜、ファクトフルネス……がむしゃらに知識をつければ、答えが見つかる筈だと信じた。
――高城に謝りたい。けれど、俺に謝る資格なんてない。それに、謝るっているのはおかしい。
聡明な高城のことだ。俺に「悪いことをした」と思って欲しくないだろう。その感情は更に高城を傷つける。
高城が自分自身を惨めに感じてしまうかもしれない。
俺は全くそんなこと思っていないが、これ以上誤解させたくない。
……わかっている。これは現実逃避だ。
本の世界に逃げて、高城の事をうやむやにしようとしているだけ。
高城に拒絶されて以来、俺は日常生活をほったらかしにして、読書と仕事に没頭している。
これが何の解決にならないこと、俺らしくない行動だってこと、高城が望んでないことだって、全部、全部、把握している。けれど――
――キーコーンカーンコーン。
ウエストミンスターの鐘が分厚い電子音で鳴り響く。
はっとした途端、ロンドンのあの日がフラッシュバックし、俺の意識は過去と現在を行き来する。
「―――かはっ」
呼吸を取り戻す。
俺の眼に焦点が戻る。
気がつけば、額にも汗が滲んでる。
「――はぁ、もう……」
俺は手の甲で髪をガシガシとぬぐい、汗をなかったことにする。
いつの間にか胸で息をしていたらしい。呼吸を整えるのにも時間がかかる。
……壁の時計を見る。時刻は午前10時50分。いつの間にか2時間以上も経過していた。もうすぐ3限が始まる。
俺は無造作に読みかけの本を鞄に突っ込むと、何かを振り払うように席を立った。
静謐だったはずの図書館。下級生が雑談をしながら奥へと進む。俺は右足と左足を交互に動かし、入り口へと進むだけ。
……風景がおぼろげに見える。
けれどなぜが、貸し出しカウンター近くの柱に貼ってある『クリスマス読書会』と書かれた手書きのポスターだけが目に入った。
季節感の無いこの空間に、突如現れた俗世のような、異質な存在。
俺は無意識に嘲笑する。それがなんとなく滑稽だと感じたからだ。
(この空間に祝い事なんて、場違いもいいところだ)
それは少しのひがみもあったと思う。今となってはよくわからない。
***
藤沢駅から五分ほど歩いた先にある、ショッピングビル内のCDショップ。
窓ガラスには、半端な長さの電球がぶら下がり、チカチカと点滅している。その上には雪に見立てた綿がセロテープで貼ってある。
クリスマスに乗じて一応やってます。そんな声が聞こえてきそうな、やる気のないイルミネーションだ。
そんな外装を見て、俺と高城は軽く苦笑しながら、扉を開く。「いらっしゃい」と店長の声が聞こえた。
数分ほど店内を歩くと、高城はある棚の前でぴたりと止まる。気になる曲があるらしい。俺はそっと近づいた。
「……高城は、普段どんな曲を聞くんだ?」
知っているけど、と内心呟く。
「色々です…‥普通の邦楽とか」
高城は【D】のインデックスに指を置き、一枚一枚ジャケットを確認している。探している曲があるのだろうか。
真剣だから、横顔をじっくり見つめてもバレない。幸運にあやかり、しっかり堪能させてもらおう。
高城の睫毛が、横顔に美しい影を作ってる。
俺は鼓動が高くなるのを必死で抑えた。
「……俺はあまり邦楽を知らないから」
これは本心だ。イギリスのロックやクラシックならわかるが、日本発祥の英語の曲はあまり知らない。
そんな俺に、高城は「そんな感じがします」と言った。
「そんな感じって?」
俺は食いつく。高城が俺に抱いた印象は、欠片も残さず吸収したい。
声に力がこもらないよう、何ともないフリで高城の顔を覗き込む。
「そんな感じって……そんな感じです」
高城はCDを一枚引き出す。お目当ての曲が見つかったのだろか。
目の前のことに夢中で、きっと答えになっていない事にも気づいてないだろう。
「そっか」
俺ははにかむ頬が抑えきれない。
俺にはいつも気をつかう高城が、無意識で俺に返事をした。
それだけで大収穫だ。
――変人だって? そんなの、俺が一番わかってる。
***
――瞼の奥が薄っすらと白い。
徐々に意識の輪郭がはっきりとしてくる。十回ほど瞬きをすると、ようやく今の出来事が夢だとわかった。
「…………」
俺はハァ、とため息をつき、一気に上半身を起こす。
なんて虚しい夢なんだ。夢ならもう少し大胆に迫ればいいのに、望みが小さすぎるだろ。
だがなんとなく現実っぽい感じと、こんなことにも幸せを感じる卑屈さは、まさに俺っぽい。
夢は己を映す鏡というが、俺の器の小ささを再認識し、なんだかがっくり来てしまった。
俺はのそのそと起き上がる。外は暗いが、部屋は間接灯で明るい。つけっぱなしで寝たらしい。
ベッド横には水のペットボトルが何個も転がっている。まったく、酷い有様だ。
「飯、作るか……」
間接灯を消し、薄暗い中で、キッチンへと向かう。
俺の心は明るさを拒んでいた。
***
Q.始めまして。いつも楽しくコラムを読んでいます。
初めての恋愛相談募集企画と知り、勇気を出して投稿しました。
私には忘れられない人がいます。けれど、私の何気ない行動で彼を傷つけてしまいました。
彼はもう微笑んでくれません。彼の負担になるのが辛くて、今は距離を置いています。
けれど、毎日辛いです。どうしても彼のことばかり考えてしまいます。
こんな自分を変えたいのですが、どうすればいいでしょうか?
(――大分県 15才 kayaさん)
A.初投稿ありがとう。まずは気持ちの整理をしてみよう。
悩んでばかりじゃいい風は吹かない。気分転換に街へ出かけたり、他人と交流するといい。
世の中には彼以外に夢中になれる人がたくさんいる。まずは一歩踏み出そう。
「………………こわ……」
充は雑誌のページを指先で摘まみ、コラムと俺の顔を見比べた。
俺は頬杖をつきながら、しかめっ面で充を見返す。
12月も第2週目。俺と充は放課後の教室で自習をしていた。
勉強の息抜きに、最近の仕事の記事を見せろと言ったのは充だ。
勝手に怖がられる筋合いはない。
「この回答なに? お前が書いたの?」
「最高だろ? 非の打ち所がない完璧なアンサーだ」
「相談者の悩みって今のお前の状況と超一致してるだろ。それにお前は完全無欠な答えを出してる」
「ああ」
「なのにお前はぜんっぜんこの答え通りじゃない。高城のことをずるずるずるずる引きずってる。なあ、本当に回答者はお前なのか? 別人じゃないのか?」
充は眼鏡をかけなおしながら、早口にまくしたてる。俺はその様子を平たい目で眺めていた。
「……テッド・バンディって知ってるか?」
「知らん」
「1950年以降に活躍したアメリカのシリアルキラー。30人以上殺した男。奴は刑務所に入った後も事件の真相を一切語らなかった」
「はあ」
「困った弁護士は『キミがもし殺人犯だったらこの事件をどう解釈する?』と質問した。するとどうだ。奴は第三者視点で事件の詳細をペラペラと話し、被害者がどうやったら身を守れたか、得意気に語ってみせたんだ」
「わかった。サキはサイコパスってことだな」
「違う。他人の悩みは解決できるのに、自分の気持ちは整理すらできないんだよ」
俺は雑誌に頭を突っ伏し、ううぅ、とうめいた。
頭上から「おお、相当参ってる」という声が降ってきた。チクショウ、他人事だと思いやがって。
「……俺が言うのもなんだけど、決着、つけた方がいいぞ。早めに」
充がぽつりと言う。俺は顔を上げる。
「早めって、なんだよ」
「もう2学期も終わるだろ。3年の3学期なんて、ほとんど出席する機会がない。高城との接点もますます無くなる」
「…………」
「その後は離れ離れだ。お前は大学、高城は高校3年。下手したらその後は一生会えないぞ」
「それは……」
充の意見は容赦が無いが、的確だ。俺もその危機感はずっと抱えていた。
伝えなければならない。けど、何を?
今の俺が何を言っても高城を傷つける。
傷つけるのなら、いっそこのまま見守っていたい。
俺の中の高城をガラスに閉じ込めて、真空にして、永遠に時を止めたい。
高城にこれ以上心労をかけたくない。けれど離れてほしくない。
――二律背反の感覚。平行線の感情は、俺の中で永遠に交わらない。
浮かない顔をした俺に、充が笑った。
「なに? まさかクリスマスの奇跡とか、信じてるわけ?」
「はぁ? ない。それはない」
「だよなあ。サキに限ってそんな非現実的な可能性にかけるわけないもんな」
充は時計を見ると、よっと立ち上がる。もう18時だ。
鞄を肩にかけ、踵を踏んでいた上履きを履き直す。
優等生ぶっているが、気心がしれたヤツにだらしない一面も見せるのが充の特徴だ。
……充が何か言っている。俺は充の頭越しに、窓の景色を見ていた。
校庭の先に電灯が揺らめている。
なんだっけ、こないだ読んだ、日本の有名な童話作家の詩。
……わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です
風景やみんなといっしょに、せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける、因果交流電燈の、ひとつの青い照明です……
「サキは人を好きなればなるほど、一定の距離を置く癖があるよな」
俺は重たい瞳を開ける。
気が付けば、充が廊下に続く扉に手をかけている。
もう帰宅するらしい。
「……最近のお前、本当に見てられないよ」
充が険しい顔で俺を見つめる。その意味はわからない。
「なあ、必ず解決しろよ。高城だってきっとそれを望んでる」
「…………」
「高城はお前が思うほど遠い存在じゃない。お前とわかり合いたいと思っている」
――うるさいな。お前に何がわかるんだ?
高城は俺の天使だ。
高城のことは、俺が一番わかっている。
高城は俺に触れたくないと思っている。
帰国後、何度も高城に会おうとした。
けれど高城が友人を介して、待ち伏せしている俺に会わないようにしていたのを知っている。
だから、俺はこれ以上何もできない。
心の中で高城の幸せを祈るだけだ。
それだけが俺に残された光の道筋。
それは信仰といっても過言ではない。
確かに今の俺は空っぽかもしれない。
けど、それ以外に何ができる?
これ以上、俺と高城の領域に踏み入れるのはやめてくれ。
……俺は瞳を閉じる。数秒後、扉の閉まる音がする。
充が出て行ったのだろう。教室には、青白い月の光と、俺だけが取り残された。
***
高城が紙袋から一枚のCDを取り出し、背面の収録曲を確認している。
その表情はどこか嬉しそうだ。かなりレアなアルバムが購入できたんだろう。
俺より少し背の低い高城の髪が、風にそよぐだけで嬉しくなる。幸せってこういうことだ。
「そのCDってどんな時に聴くんだ?」
俺の不思議な質問に、高城はきょとんと顔を上げる。その仕草だけで胸が熱くなる。
「えーっと……雨の日とか……」
解答したはいいが、自分の中に落とし込むのに時間がかかっているようだ。
収録曲を確認し、うーん……と呟いている。
俺の適当な質問に、真摯に答えを探している。
うつむいたせいで前髪がうっとうしいのか、右の耳にかける。
そのシーンを心のメモリーに刻み込むため、瞬きを数度繰り返す。
「…………ふーん」
俺はわざと視線をそらして、時計を見る。時刻はまだ17時20分。
双子の夕飯を作るには、あと30分は時間があるはずだ。
藤沢駅の各出口には、バスやタクシーの停留所が集結しているロータリーがある。
市が管理している花壇には、季節の花が植えられている。
夏はヒマワリ、秋はコスモス……だが、冬は少し様子が違った。
常緑樹に電灯が巻かれ、ポインセチアが点々と並んでいる。
それらは夕方の5時以降になると、一斉にライトアップされる。
ベンチにも電灯が配線されており、バスを待っている学生やサラリーマンは鬱陶しそうに下を向いている。
要するに、この時期のどこの駅でも見られる光景だ。
高城はハ、と息を吐く。夜闇を白く淡い吐息が彩る。俺は思わず喉を鳴らした。
「寒い?」
「……いえ」
「そっか。けど、もう帰った方がいい。帰りはあっちの方だろ? ほら、横須賀線の 」
俺の問いかけに、玲人はぱちくりと瞳を瞬かせた。
「家、知ってるんですか?」
「……いや、なんとなく」
もちろん知っている、とは言えない。
俺は無言でズボンの中の手のひらを握った。
「高城って、両親と一緒に暮らしてないんだろ? それなのに凄いよ。成績も優秀で、生活もちゃんとしてて」
複雑な事情は口にしない。
けれど、俺の口からは予想もできないくらい真相をついた台詞が、するりと喉から飛び出た。
なんだこれ。これが充の言ってたクリスマスの奇跡ってやつか?
自問自答が脳内を駆け巡るが、沈黙している暇はない。
俺は高城が何か言う前に、無意識に言葉を羅列していた。
「俺の家も同じ感じ。親父はジャーナリストで、母親はエッセイスト。俺が産まれる前から海外を飛び回ってた。だから家族で一緒に生活していた期間はほとんどない」
俺はその後もまくしたてる。
「物心つく前から放任主義だった。だから親に甘える時間なんてなかった。自分で知識と経験を蓄えなければ、この世界でやっていけないと思ったんだ」
俺は続ける。高城は黙って聞いている。
「両親は助けてくれない。それが俺を強くした。けど、それと引き換えに何かを失ったような気もする」
目の前の交差点を、サンタの恰好をしたピザ屋のバイクが通り過ぎる。
この時間は掻き入れ時だろう。俺は続ける。
「だから、親の愛情ってよくわからない。けど、今思えば普通に楽だな。完全に放任っていうか放置だけど、その方が助かる」
よく見ると、トナカイやプレゼントのバルーンが設置してあるベンチもある。何の意味があるんだろう。住民税の無駄遣いだ。
「そうなんですね……」
高城の声で、俺は現実に引き戻された。
最愛の人が俺を見上げる。目が合った瞬間、高城は視線を引き離すように下に落とす。
彼の耳は、なんとなく赤く染まってみえた。
「す、すみません…‥変な話……」
「なんで謝るんだ?」
俺は少し屈み、右手の人差し指で高城の耳にかかった前髪をすくってみせた。
「だって……」
高城は視線を落としたまま、答えに詰まっている。俺は思わず微笑んだ。
「優しい。そんな事気にするんだ?」
「え?」
「全然大したことじゃない。一人暮らしって最高だし」
俺は駅前のサンタが配るチラシを断りながら、事も無げに呟いた。
高城はどんな表情を浮かべていいかわからないみたいだけど、俺は本心を言ったまでだ。
俺は一般的な両親の愛には恵まれなかったかもしれないけど、そのおかげで早々に独立できた。
一人暮らしが最高なのも嘘じゃない。そのおかげで、俺は高城だけを一心に追い続けることができる。
……それが俺の真実のうちのひとつ。心のどこかで、高城に知って欲しかった一面かもしれない。
俺の予測通り、高城は戸惑っている。無理もない。彼は根が優しすぎるせいで、自分だけに集中できない。
俺みたいに自分自身に精一杯という感情にはならない。
彼を取り巻くすべての現象に、彼は溺れてしまっているのだ。
「高城の方が割と大変なんじゃないのか?」
俺は大胆にも、細心の注意を払い、根幹に触れる。
俺の手で、天使の心の内側をなぞる。
それは罪人である俺にとって、禁忌ともいえる行為だ。
「……ううん、僕も」
高城は俺の発言に自分の経緯を重ね、反芻しているようにみえた。
「………………たいしたこと、ないかも、しれません」
くしゃ、と眉と頬を歪めて笑う。
――なるほど、福音とは、こういう瞬間のことを言うんだな。
***
――目が覚める。
そう。これが前回の続きだなんて、夢を見る前からわかっていた。
俺の心の中の高城は、いつも俺の隣にいてくれる。
当たり前のように存在して、当たり前のように素を見せてくれる。
……でも、現実にはどこにもいない。
もう1カ月以上も会っていない。いい加減、気が狂いそうだった。
***
12月22日。俺はいつものように機械的に登校していた。
明け方まで読んでいた本のせいで瞼が重い。
ふわあ、と欠伸を噛み殺しながら、藤沢駅から学校へゆっくりと歩いていた。
この時期は曇天が多い。海沿いの街特有の湿気も手伝って、いつも以上に厚い雲が覆っている。
空を見上げると、前髪が視界を遮る。そういえば、もう2ヶ月以上髪を切っていなかった。
イギリスにいた時から大分伸びていたから、帰国後すぐに切ろうと思っていたんだっけ。
けれどあの事件が起きてから、すっかりその気もなくなっていた。
今は襟足がゴムでまとまるくらいになっている。
クラスの女子には「結びたい」と騒がれるが、俺は全く興味がなかった。
校舎の靴箱を抜け、廊下へ進む。
今日も教室には用はない。このまま図書室に向かう。
図書室へ行くには第1校舎と第2校舎をつなぐ渡り廊下を通過しなくてはいけない。
渡り廊下はむき出しになっており、冬の風を直で受ける。
生徒達には大不評なスポットだが、俺は特に気にしていない。
気になるといえば、この渡り廊下は1学年から3学年まで使用する共通のアクセスポイントだ。
1年前のバレンタイン、この渡り廊下で下級生と上級生に待ち伏せされて、嫌な目にあったのを覚えている。
そんなわけで、この廊下は足早に通り過ぎると決めていた。
そんな時だった。廊下を渡り終えた時、俺はある気配に気づいた。
「あの、これ……落ちてました、けど」
振り返る。その声の正体は、すぐにわかった。
俺の目の前には、細身で中性的な体をした、高城の姿があった。
「あ…………っ」
人は本当に驚くと声が出ない。そんな経験をしたのは初めてだ。
高城の手には俺の学生証が握られている。
多分上履き箱近くの廊下で落としたのだろう。高城はそれを偶然拾ってくれたのだ。
高城の心境としては、届けるまで随分葛藤したに違いない。
パスケースを握る手が震えている。それだけで彼の気持ちの一部始終がわかる。
「…………それじゃ、失礼します」
高城は俺の手に学生証を押し込むと、そのまま回れ右をして、2年の校舎へ急いだ。
「待ってくれ、その……」
俺はその後の言葉を紡ぐことができない。普段は饒舌な口が、雷(いかづち)に打たれたようだ。
久しぶりに視界に映すことを許された、高城の華奢な後ろ姿。
俺の心はそれだけで舞い上がる。
今までの苦悩は、この日のために用意されたプレゼントのようだ。
たった数秒のイベントなのに、それだけ俺の心に衝撃を与えたらしい。
「高城が、俺に会いにきた……」
恐ろしいことに、それだけで俺と高城は結ばれると確信した。
奇跡が起きた渡り廊下で、俺は随分と長い間立ち尽くした。
***
「ふぁっ……」
高城が俺の下でもがく。俺は細い手首を掴みながら、懸命に腰を動かす。
高城の良い箇所は全て知っている。高城が知らない場所すら、俺は暴くことができる。
やめて、どうして、なんてたわ言は、俺が息の根から吸い上げる。
高城の薄い唇は、はくはくと空気を求める。汚れた俺はそれすら許さない。
渡り廊下での出会いで確信した。高城は俺の両手に落ちてきた。それは彼が俺と繋がりたいと望んでいるに他ならない。
そうでなければ、あのタイミングで出会うはずがない。
これこそがクリスマスの奇跡と呼ぶにふさわしいだろう。俺の日々の葛藤は、ちゃんと高城に届いていたんだ。
「やだっ……先輩、せんぱいっ……」
高城が雫のような涙をこぼし、肩を震わせる。煽情的過ぎる光景に、俺の背筋は一層粟(あわ)立つ。
「大丈夫だから、な……一緒に、きもちよくなろ……?」
「や、そんな……あ、ぁっ、っく――――!」
俺の突きに合わせて、高城が気をやってしまう。
心身ともに力尽きた高城の身体を引き寄せ、力強く抱きしめる。
……こんな日がくるとは思わなかった。今はただ、この幸せが永遠に続けばいいと願うばかりだ
***
「…………!」
跳ね起きる。辺りを見回すと、視界には雑然とした自室が飛び込んできた。
そうか、やっぱり夢だったんだ。
「……欲望に忠実すぎだろ…………」
高城に許されたと思ったら、即これだ。自分の卑屈さに呆れてため息が出てしまう。
――俺はちらりと下着をめくる。
……やっぱり。罪悪感と虚無感でいっぱいになりながら、無造作に寝間着とシーツを洗濯機に突っこんだ。
軽くシャワーを浴びた後、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、3分の2程飲み干す。喉を通る水が気持ちいい。
いつもより体が軽い。俺は久しぶりにカーテンを開け、朝の光を取り入れる。
鳥ってこんな時間からさえずってるんだ。俺は自然と笑みがこぼれた。
久しぶりに清々しい気分だ。俺は外の空気をめいっぱい吸い込んだ。
***
「よう、充!」
久しぶりに教室に顔を出す。
充は単語帳から目を離すと、変な物でも目にした表情で俺を見上げた。
「……よう」
「なんだよ、元気ないな。調子が悪いのか?」
「サキこそどうしたんだ。気持ち悪いぞ」
俺はぶはっと噴き出す。気持ち悪いって言い方はないだろ。
まあいいや、俺が浮かれているのは事実だし。
俺は充の隣の席(推薦合格で半月前から欠席中)に腰を下ろし、鞄を横にかけた。
「今の俺に何を言ってもムダだよ。俺はとうとう許されたんだ。いや、仏教用語でいえば……解脱した?」
「相変わらずサイコパスだな」
「今までの苦悩はこの喜びを知るためだったんだな。盲目も案外悪くない」
「……高城関連か?」
「ビンゴ」
察しがいい俺の親友。さすが秀才だ。
「昨日学校で学生証を落としてさ、渡り廊下にいるとき、高城がそれを拾ってくれたんだ」
「学生証? 渡り廊下?」
「ああ。帰国後は一切口を聞いてくれなかったのに、こんな奇跡ってあるんだな」
俺は頬が緩むのを止められない。
だが、充の表情はなぜか曇っていた。
「あの時に運命っていうのを感じた。こんな些細なことだけど、俺と高城は繋がってるんだって」
「…………」
「これをきっかけにやり直せる気がする。そうだな、年内までには元の関係に戻れると思う」
そして卒業までにはもっと深い関係に……なんて話していると、充に違和感を感じた。
俺の上昇気流の心情と違い、低気圧のような雰囲気だ。
充は単語帳を閉じ、何かを考えこんでいる。
俺の発言を聞いて、奥まで推測している……そんな感じだ。
「……どうしたんだ?」
俺は充の顔をのぞきこんだ。
充は視線を動かし……そして結論にたどり着いた。
「それは、高城じゃない」
「…………は?」
俺は親友の気が狂ったのかと思った。
だが、充は嘘を言うタイプの人間じゃない。
現に今、充は必死に言葉を選んでいる。
どうすれば俺を傷つけずに済むのか熟考してる。そんな感じだ。
「……昨日久しぶりに学食に行ったんだ。そうしたら、向かいの席が二年生で。サキの噂してたから、かなり印象に残ってる」
この辺りから、俺の鼓動は早くなる。
「……高城と同じくらいの背格好の男子で。なんか、前からサキに憧れてたらしい」
……だから何なんだ。早く要件を言ってくれ。
「そいつがさ、その日の朝……渡り廊下で、サキに学生証を渡したって言ってたんだよ。嬉しそうに語ってた」
充の眉は、苦しそうに歪んだ。
俺の体は、真実という名の槍に貫かれたようだった。
「…………嘘だ」
「……俺が推測するに、サキは……錯覚してたんだ」
充は重く、口を開く。
「高崎が渡してくれたらいいなっていう願望で、盲目になってたんだ」
俺だって本当はこんなこと言いたくない、と充が続ける。
「久しぶりにサキが幸せそうで嬉しかった。けれど、それが真実じゃないなら……俺はちゃんと、伝えたい」
充はもう一度口を開いた。
「それ、高城じゃないよ。お前はまだ、夢の中にいるんだ」
***
――2学期の最終日。12月24日。
この2日間の記憶がない。俺の身体は鉛のように重く、脳には重油のような膜が張っていた。
それでも機械的に登校はしていたらしい。
気が付いたら制服に着替え、気が付いたら学校に行き、気が付いたら下校していた。
そして俺は今、高校の最寄り駅の藤沢駅にいた。
「……」
俺は空を見上げる。乾燥した冷たい空気に、たくさんの星が瞬いている。
当然のことだが、何の感情もわかない。
俺の目には、どんな光も通らなかった。
ショッピングビルの裏側は人通りが少ないが、ここにも小さい休憩スペースがある。
俺はベンチに腰掛ける。
すると、身体を吊っていた糸が切れたように、ずるずると体が落ちた。
ベンチに座るのもおっくうになり、ベンチの脚を背もたれに、地面に座り込む。
石畳が冷たいが、そんなことはどうでもいい。
俺は体育座りになり、頭を膝に埋めた。
人通りが少ないといえど、普段なら、絶対にこんなことはしないだろう。
けれど、今の俺が失うものは何もない。
それに……なんだか、疲れてしまった。
『それ、高城じゃないよ。お前はまだ、夢の中にいるんだ』
充の言葉が脳内を巡る。
どうあがいても振り払うことができない。
なぜならそれは……本当に、その通りだからだ。
「…………だっせぇ」
俺はうずくまったまま呟く。なぜか目頭まで熱くなった。
――結局何も変わってなかった。むしろ悪い方へと向かった。
高城を神格化すればするほど堕ちていく。
戻れないとわかっていても止められなかった。
……もう、限界かもしれない。
これ以上高城のことを想えば、俺は人でなくなってしまうかも。
けれど、それもいいかもしれない。
どうせ想いが通じないのなら、いっそのこと……
「あの、大丈夫ですか?」
柔らかな指が俺の肩に触れる。そのぬくもりを知覚するまでだいぶ時間がかかった。
どうせ近隣店舗の従業員か女子中高生だろう。
俺は重たい頭を上げる。
するとそこには。
天上で生きる人。
真空管で培養される対象物。
額縁の中で愛でる存在。
俺の生きる意味。
――高城 玲人の姿があった。
「あっ……」
高城は俺を視認すると、わかりやすく動揺した。
俺が咲野優一だと気付かなかったんだろう。
高城はロータリーの裏側でうずくまる人影を見て、救いの手を伸ばさずにいられなかったに違いない。
学生鞄の他に、大きく膨らんだ買い物袋も下げている。中にはフランスパンも挿さっていた。
今夜はクリスマスイブだ。双子にごちそうをつくってあげるのだろうか。
その予想は当たっているだろう。高城の聖母のような優しさに陶酔する。
街灯の暖かな光が高城を照らす。俺は思わず眼をひそめた。
高城は声を詰め、その場を離れようとする。俺はその手を必死につかんだ。
「いかないで」
俺の必死な表情に、天使の眉が歪む。
その一瞬は永遠のように思えた。
無慈悲なクリスマスソングだけが、右から左へ通りぬけた。
「……俺のこときらい?」
高城の指が、びくりと震える。
彼の指先は冷たいが、俺の右手が冷え切っているせいで、それでも温もりを感じた。
「俺が近づきすぎたから……ただ眺めているじゃ満足できなかったから、罰が当たったんだ」
あの渡り廊下で出会ったのは運命だった。高城が俺を許してくれた証拠だと思った。
天使が俺の元に下りてきた。それだけで許されたと舞い上がった。
……けれど、俺は真実を聞いた。俺は絶望の底に叩き落された。
俺が感じていた光悦感は、ただの錯覚だったんだ。
高城は俺の近くにはいなかった。俺が勝手に勘違いしていただけ。
俺の神様は汚れもせず、また元の高い場所に戻っていく。
「……ばち?」
「神様なんだ。初めて会った時から、高城は俺の神だ」
「かみ、さま?」
俺はらしくない言葉を並べ立てる。抑えていたみっともない自分が溢れて止まらない。
だが、どうせ嫌われているんだから、構う必要なない。
それに、きっと、今日が最期の日だ。
俺と高城の関係はもう終わり。明日から俺の信仰は途絶えてしまう。
俺は俯いたまま呟いた。白い吐息が、冷たい夜に溶けて消えた。
「――気持ち悪いって思ってるだろ。こんなこと言って」
高城は差し出した指をひっこめることできず、そのまま硬直している。
こんな時ですら、高城の指を感じることができて嬉しいと思う自分が嫌だった。
「…………なんで、そんなこと……」
高城がやっとの思いで口を開く。俺は答えた。
「高城にきらわれたから」
「……きらいじゃないです」
「うそだ」
「ほんとうです」
「正直に言ってくれ」
「だから、うそじゃないです」
「……うそだ」
高城は思わずふっと笑う。俺の子どもすぎる反応に緊張の糸が切れたのかもしれない。
高城の微笑みは俺にとっての癒しの泉だった。
「……先輩、おちついてください。僕は神様なんかじゃないです」
「そんな言葉じゃわからない」
高城は俺の神だ。それは間違いない。
だけど、高城は否定した。
高城に拒まれたら、俺は死んでしまう。
高城が俺を肯定してくれたら、それだけで生きていける。
「……」
「やっぱり俺のことがきらいなんだ」
「きらいじゃないって、言ってます」
「否定した、神様じゃないって」
「それとこれとは話が別です」
「どうしてだ? それとこれとは同一のものだ」
俺の心がどこかで警鐘を鳴らしている。これ以上は危険だと感じているのに、言葉の波を止めることができない。
『なに? まさかクリスマスの奇跡とか、信じてるわけ?』
どこかで充の声がする。やめろ。そんなんじゃない。
高城は不思議なことに、なんとなく気を許した様子で、俺に向かい合った。
俺と高城の視線が交わる。例えるなら弱った大型犬を癒すような瞳だ。
「同じじゃない、です。先輩、だいぶ混乱してる」
くすっと笑う高城。その光に救われる。
死ぬ間際に名画を見た犬の気持ちも、こんな感じだろう。
「……神じゃないなら、なんて言うんだ?」
「え?」
「そういう存在のこと」
高城は困った顔で俺を見る。買い物袋を床に置いて、下唇に右人差し指をそっとかける。
考える時の癖だ。首が少し傾くのも愛らしい。
「…………」
高城は視線を上げ下げし、しどろもどろに答えた。
「……先輩は、いいひとです。だからきらいじゃない」
高城の視線は相変わらず落ち着かない。
数十の言葉を探り、最適解を探しているようだ。
「多分、僕が気付かない以上に……先輩は、僕のことを想ってくれてたんだと思う」
高城は続ける。俺は言葉のひとつひとつを宝石のように受け取る。
「多分。わからないけど……先輩と僕が同じ気持ちだったなら、その答えがわかる気がする」
歌が聞こえない理由、そのせいかもしれないから、と高城が呟く。
歌? 言葉の意味はわからないけど、高城が真剣な表情でこちらを見つめていた。
刺すような冷たい風が二人の間を通り抜ける。
体はすっかり冷え切っているはずなのに、高城と俺を繋ぐ指先には、蝋燭の灯のような熱がある。
高城が重い口を開いた。
「……神様って、崇拝の対象で、遠い存在だけど……僕は人を想います」
(……もしかして、照れている……? )
「仮に二人が互いにそういう感情を持っているなら」
(これは夢じゃないんだよな?)
高城の指が、俺の指先を握り返す。
高城の感情が流れ込む。
その熱で、俺の脳は、聖なる雷に貫かれた。
…………そうだ、俺はとっくのとうに知っていた。
いつのまにか妄念にとりつかれて、当然のことも見えなくなっていた。
高城は俺の曇った瞳を覗き込み、少し熱っぽく呟く。
「それは……神様じゃなくて じゃなくて……」
――高城も、俺と同じ……
「…………恋人とか、じゃないですか?」
――――生身の人間、だということを!
END
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