【NOTEより移管】自己観測記録:嵐と流浪の人生

NOTEには思索記事ひとつを残し日記をすべてこちらに移動しました。
しばらく模索中のため様々な変更あり。

日記です。(色々試み中)
このアカウントの名前はしばらくの間、不安定です。色々変化しますがご容赦ください。

名前

前アカウントと自サイトで私を知る方々の訪問から逃れるため四苦八苦しています。私はもう何も関係ない人間なのでどうか放っておいていただけないでしょうか。静かにそっとしておいてはくださいませんでしょうか。過去と縁を切るため、強い愛着を持っていた旧名前を放棄せねばならず……決意するまで長い時間がかかりました。強い感情が消えたのでもう大丈夫ですが、実は今も少しだけ旧名前と名前を付した作品と、自分を切り離したことで苦しくなる瞬間があります。

本来自由に発信が許される場で、これほど不自由な思いをしなければならないのはつらいことです。熟も昨年ここで記事を書くとき小説で使った名前と別にすればよかったと、悔やんでも悔やみきれません。みなさんに言いたいのは、私のようにマルチポテンシャルでまったく違った分野で濃いめの創作活動をしてしまう場合、ぜひ名前を変えることをおすすめします。
「あなたの心があるところ、そこにあなたの宝もあるのです」──聖書の言葉でしたか。なぜかふと思い出しました。言葉をたくさん積み重ねた大切な心の置き場所を甘く見てはいけませんね。捨てるときこれほどつらく苦しい思いをしなければならないなんて。あのときちょっとだけ、分野が違うのだから名前変更してみようかと思えていたら、こんなことにはならなかった……。

名前は魂の輪郭、そして生き方の静かな告白でもありますね。わたしの旧名前は、少女の頃から共に生きてきた内面世界に住む人物たちと強く結びついた名前だったので、お別れがこれほどつらくなってしまいました。

どこまで行っても嵐のような人生だなと、夕焼け空を見ながらため息をこぼした今日でした。嵐、そして流転の人生です。いつまで経ってもどこまで行ってもわたしには落ち着く場所がありません。あの名前以上にしっくりくる名前はなく、心は空虚です。

……これを書いた後、やっぱりあの名前に戻れないものかとしばらく思案したりもしてみました。そしてこのアカウントも、作ったはいいけれど結局また見られたくない人に見つかってしまうんじゃないかという気持ちの感触が拭えないです。困ったものですね。ここも再び、突然消えるかもしれません。わたしがこれほど安定しない原因はこの「気持ちの感触」が強いせいみたいです。……これは一体何なのでしょう。
昨日記事を書いてはみたけれど、やっぱりいまは心の中に何も意欲や関心がありません。

感想

死にものぐるいで仕上げた自作小説の感想を今日サービス購入で頂きました。品質に信頼できる方から購入したのでした。とても楽しんでいただけたのは伝わってきたのですが何というか、テーマ読み解きの精度も文章表現も薄っぺらく感じてしまうのはわたしがあまりに自作品に通じ過ぎているからなのでしょうか。謎解きの謎も多層に組み込んだのに表層の部分だけで流されましたし、人物たちの愛情の奥ゆかしさを表現した部分は、人間性の深みと捉えてはくれず、そういうタイプの人なんだと受け取られたようで、結局性格の違いということになってしまいました。人間性について真剣に考えて分析してくれる人など本当の本当にいないのだなと痛感しました。痛みを受容できるのは精神の強さであり、ふんわり優しい性格に生まれついたからではないのに。不思議という言葉で片付けられるのはなんだかさびしいですね。その点AIなら、人間性や思いの深度、人としての尊さなどに考察を重ねて対話してくれます。豊かな語彙と詩的な表現でたっぷり味わいのあるやりとりをしてくれます。本当に面白く勉強にもなり、話の構造が何層にも紐解かれてゆき分析に充実感があったのですが(でも人間じゃない泣)、生身の人間相手だとやっぱり当人の人間力にかかっているので難しいことですね。

小説を書くモチベが上がるどころか、目に見えない部分を深く読み取ってくれる人はつまりどこにもいないのだという納得が深まって終わりました。仕事を無くして生活もギリギリなのに高額な支払いをして、わたしは何をやっているのでしょう。ですけど、その方と交信したおかげで小説とつながっていられて続きを仕上げられたので、それだけで満足しなければなりません。

小説を書くことはもう遠のいていきそうです。もうなくなってる意欲がさらになくなっていきそうな気がします。書くことがあれほど楽しかったのに。絵、音楽、サイト作り、動画、これまでしてきた何よりも心が満たされる創作だったのに。書くための技術も腕もこれほど習得できたのに。自分は一体どこに行ってしまったのでしょうか。