今朝のメモ:今後のこと

これから投稿したい幾つかの記事は、どうしてもこれだけは言葉に換えておきたいと強く思っていること。私の過去の出来事と自分にある『原点』の話。

ただ、二年ほど前の私にこれを見せると軽蔑されたかもしれないと思う。私はこの経験を、半分私小説という形で猫が登場するフィクション設定を絡めて、人間ドラマの長編物語にしてみようと思っていたから。小説作品という形で自分の『原点』を閉じ込めて、同じタイプの誰かの心に届けられるといいな、とイメージを描いていた。それがなすべき使命のように。
なのに、「直接の言葉」で何の脚色もなしにありのままを書いて文章にするなんて、(アマチュアではあるものの仮にも)作家根性としてどうなの? と詰め寄られそうだ。そんな芸のないことをして恥ずかしくないのか、と(笑)

昨日久々に日本の作家の小説を読んで、やっぱり私は最終的には「小説を書く」形でパッションを閉じ込めた作品を創り表現してみたいし、それがもっとも強力に自分のエクスプレッシブ力を活かせる道だなぁ、としみじみしてしまったのだった。だから数年前、私は何の才能もないただの主婦にもかかわらず突然に長編を書いたのだろう。ここまで総計35万文字分の物語を綴ってこられたのはこの本物の魂作品を書くために、前触れ、前兆、予行練習のような意味があったのだろう。

だからこのno+eをあと数記事投稿したら、一旦区切りをつけて、やっぱり書きかけの小説の続きを仕上げてから、もうタイトルも最期のシーンも決まっているその半分私小説な物語に手をかけてみたい。タイトルは『母になりたかった猫』なのだ笑 摩訶不思議な能力を持つ賢者(賢猫?)の血を引く猫が、ある少女と出会い、波乱万丈な少女の半生を見守るという人間ドラマの長編ストーリー。白い花びらが舞い散る春の宵、猫が目を閉じて命を終える最期のシーンと地の文がまず頭に浮かんで、そこから逆算してストーリーを組み立てた。少女の遭遇する出来事の元ネタは私が実際に経験したことをモデルにしてる。そうすれば同じような経験をした人の心にヒットするかもしれないと考えて。そんな人はほぼいないのは分かってるけど、たった一人の人の心に届き、その人に生きる力を与えられたら本望だなと。

最後の最後、私はどこで何を表現するのか、実際どうするかはわからない。このno+eはno+eでメインとしてやっていきたいし、でも小説を書くことも間違いなく私に合った優れた表現方法のひとつだ。どこかにいる誰かのために物語を書き残すことが、(販売したいとか売れたいとかの欲を全然持てないことが、ある意味私の欠点なのだが。)したいことであることを昨晩再認識してしまった。

・『大洋感情』を持つ人間(1)(2)
・私が捉えた『積極的分離理論』(1)(2)

こんな感じのタイトルでいくつか投稿するつもり。これを終えたら、小川洋子作品への感想(特に『猫を抱いて象と泳ぐ』に対する深い想い)や、稲葉真弓さんのエッセイで起こったエンパスならではの少し奇妙な読書体験についても書いてみたい。また、献身的英雄として生きている誰かに贈る歌として、ある曲を自分の声で歌って投稿してみたい(はた迷惑)。あと、私の造語『あったか寂しい』に関わる話。この感情はほぼ消えつつあるので完全消滅する前に文字に閉じ込めてしまいたい。言わば言葉による感情の標本だ。

もしよければ、このように一区切りつくところまでお付き合いくださると嬉しく思います。間に雑多な記事も投稿してしまいますが。そもそも区切りつくかどうかも怪しいのだけど『フォレスト・ガンプ現象』(これも造語。熱心にやってることが唐突に終わる現象)は突然来るので(笑)

今日も素敵な一日を♪

無人島に誰か一人だけ連れて行けるとしたらこの人、といえる誰かがいる人のことを心から羨ましいと思う。私の中にあるほぼひとつの「羨ましい」だ。他にはもう何もないのだけどね。

※先の投稿でご心配くださった方、本当にありがとうございました。コメントやメッセージから伝わってきた深い優しさとお心遣いに心より感謝しております。おかげさまで質の高い休息ができました。重ねてお礼を申し上げます🙇‍♀️