息子よ、母は語りたい①:崩壊する精神を持ち、笑いながら沈没する船になれ。

※この記事は、大人になった息子に伝えたいことを綴る「息子よ聞け」的な内容です。
また、『ニコ没』と呼ばれる概念とも通じ、この語に関連して直感的に思ったことを言語化したものでもあります。『ニコ没』については下記で少し触れています。


成功する人になろうとするのではなく
価値ある人になろうとしなさい

アルバート・アインシュタイン

他の人の立場になって考え、思いやりを忘れずに生きる、誰かの役に立つ生き方こそが価値のある生き方である、……そういうことはある意味言うまでもないことで、今日は少し別角度からの話になる。

人間は成人し社会に放り出されて、一個人としての価値を試され始める。仕事や生活の中で良いことを探し、自身も良い何者かになろうとする。思考し、善か悪かを判断し、行動し、負けじと踏ん張り、更に高みへ昇っていこうとたゆまぬ努力をする。高みへ行こうとする姿勢そのものが善であり良であり正であるとする風潮が一般論としてあるので、疑いもせず当面はその生き方を受容して生きていくことだろう。コツコツ日々価値ある何かを築いていく。それが日常であっても仕事であっても大きな社会的貢献であっても同じ。社会に向き合う何か、だ。

この多様化した現代社会で、人は自分探しに明け暮れている。個性とは何かを必死に考える。特に現代の若い世代は、他者と比較する病に取り憑かれてる。だから自分らしさと思える「他者との違い」を必死に積み上げてラベル貼りに夢中だ。そうやって線引きした領域の中で、一般的な知識と知恵と呼ばれるものを拾い、築き上げたものを、より強固にするために努力を惜しまない。自分で見つけたレンガを一個一個積み上げることで個の能力を評価され自信や安心感が育っていく。安定は心地よい。

その塔に寄ってくる人々に感謝されれば更によしとしてその塔を一層固めんと築いていく。しかしこういった万人共通の既存の価値観という、外側から与えられたものを材料にして固めた塔は、高くなればなるほど影ができる。その塔の陰で犠牲になっている尊い何かに気づけないことも往々にしてある。
塔が高くなればなるほど影も同時に深く長く伸びてしまうからだ。本当に自分の頭で考えるということは、この影の存在を発見することも含んでいる。ただそれは誰しも見たくない部分である。

しかしある日そこを直視し、塔が成してきた負の側面、時に害悪となってきたもの、または無意味さに気付いたなら、潔くそれを崩壊させる覚悟を持つのは大切なことだ。その塔を打ち壊そうとする強者があれば、壊されるままにしてみるのだ。もしくは自ら進んでそれを破壊してみる。コツコツと築いてきた塔(それは世間から尊ばれ讃えられてきた何か、自分で尊び讃えてきた何か)を、必要とあらばいつでも崩壊へと導けるこの心構えを持つことこそ、真の意味でより高みへと昇っていける手段ではないだろうか。

自己変革とは、崩壊を受け入れること

答えを探すことは素晴らしい。判断をして行動することも素晴らしい。自分が信じたものを築くことも褒められるべきことだ。けれども、現存する善を破壊しその先に更なる善をもう一度最初から形成していくための気概と覚悟を持てる人間にならないでどうするのか。ニーチェ哲学でいえば「自己保存」欲求の奴隷になってはならず「力への意思」を持つことが生きるということだから。自分の領域を築き保存することではなく、より強くなりたい、より良くしたい、という根源的な欲動を解き放つことが本当の意味で生きるということだから。
高い精神へ昇る道というものはこれの繰り返しだ。ゴールにはなかなか到達できない。到達点に届かないこの「曖昧さに耐える」ことは人の強さであり、人間の器の大きさといえる。
曖昧さへの耐性を持たない、塔を壊す覚悟を持たない、答えに到達した誇りに縋りつく、そんな人は、いま高みへ行こうともがき生きている若い世代に、「奴隷道徳」で築いた善(立派な高い塔)を見せつけ真似しろと苦しめてしまうことはよくある光景だ。(※奴隷道徳とは、外発的動機づけによって培ってきた行動への意欲のことをニーチェ的に言った。)特に親や教師は子にそれをしがちだ。彼らは頑強な自己保存欲求のため崩壊の精神を持たず、曖昧さに耐えられなかった人たちだ。心の矛盾を一掃できると信じた人たちだ。高い塔に頼る人たちだ。彼らは運命の悪戯で塔が崩壊したとき自己の崩壊をも経験する。自分だけならまだしも同じ塔に縋っていた者たちをも道連れにすることがある。

自己の塔より巨大な善の潮流を察知し、刃向かわず、むしろ笑いながら塔を崩壊させる──ある意味それは武士の魂であり、献身的英雄の精神でもある──そんな勇気を持った人たちが、実は歴史の表舞台には出てこない場所で人類の進化に貢献してくれている。大人になった息子はそれに気づいているだろうか。彼らは多くの人から賞賛も受けず、沈没する船となることで進化や進歩に貢献してきた。賞賛を受けてきた中に英雄はいるが、人間の歴史がより善き道へと向かう潮流を陰で支えてきた彼らもまた真の英雄たちだ。

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これは『ニコ没』の精神という。
※財閥解体の際、渋沢財閥が解体免除を拒否したときにできた造語。イェール大学助教授の成田悠輔氏がスピーチで引き合いに出したことで広く知られるようになっている。成功体験の積み重ねよりも大切なこととして語られた。より優れた社会発展のために進んで笑いながら崩壊していこう、という精神のこと。

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息子には、曖昧さに耐える人になってほしい。築き上げた誇りを必要なときはいつでも崩壊させる覚悟を持つ人に育ってほしい。世界を俯瞰し、中庸のスタンスを取り、理性で思考を固めることはたしかに立派だ。そこまでできる時点で優れている。しかし傍観者になってはいけない。
個性をつけ他人と違うアウトサイダーな生き方は一見カッコいいかもしれないが、最後はインサイダーとなり社会的生き物として生き方に変革を起こし命を全うしなければならない。変革を起こすには「主人道徳」が必要で(内発的動機づけによる善の行動への意欲、力への意思で作る)これは、崩壊の精神と切っても切れないはずなのだ。成し遂げるものは外面的に目立つ社会貢献に限ったことでない。自分サイズのものでいい。外側から立場を誇る人になるのでなく進んで内側に入り、内側の最前線に立ち、自らを潔く崩壊させかつ再生できる人になってほしい。

成功する生き方とは、塔を築くことに執着する道だ。塔を打ち壊す、何度も何度も打ち壊すその痛みに耐える覚悟を持つことこそ、価値ある生き方なのではないか。

すごい人ではなく、器の大きな人になってほしい。
築き上げてゆくだけの人なら世に腐るほどいる。築き上げた物を破壊する覚悟も育てる人が真に価値ある人である。塔を打ち壊し更なる塔を築こう。より高きもののために笑いながら沈没する船になろう。

──ということを息子に伝えたいのだが、十代、二十代、三十路過ぎたくらいじゃ意味わからないだろうな。若いうちは成功と価値は同じとしか見えていないだろう。いつか気づける人になってほしいと願う。