
一介の主婦ごときが大仰なタイトルをつけてしまった感満載ですが。もしよければお付き合いください。(書いてると思いがあふれ出し引用しまくり九千文字になってしまった💦)
先日「積極的分離理論」について考えていたところ、この界隈にいらっしゃる方々がご存知と思われる情報に行き着きまして。人の精神の特徴や段階をアニメから考察するとしたら銀英伝が最適だと思った瞬間スイッチが入りついそちらへ思考がシフト。壮大な銀河の歴史に再び足を取られてしまった次第です。※只今本命記事投稿のためのウォーミングアップ期間でもあります。
そこで、半分お遊び、半分本気、でこれを書くに至りました。
「社会性」こそ外せない視点
人格形成や理論がどうあろうと、つまるところ人が人格をより高次なレベルへと上げていく場合、そこには不可避のワードがあると思うのです。それは、「社会性」と「最善の生き方(選択)」です。特に今回、社会性という切り口から精神の段階や生き方(生き様の方が適切かな)に思いを馳せることができる内容にしてみました。アニメの紹介も兼ねて。
社会性(英:sociality またはsociability):
集団をつくって生活しようとする人間の持つ基本的な傾向対人関係における主として情緒・性格などのパーソナリティの性質であり、人間が社会化される過程を通して獲得される。人間関係を形成し、円滑に維持するための社会生活を送る上で欠かせない特質である。
最善:
執る行為につき可能性のある中で最もよいこと。
1 いちばんよいこと。いちばん適切なこと。
「—の方法をとる」⇔最悪。2 できるかぎりのこと。ベスト。「—を尽くす」
他:goo辞書より
社会性については、誰しも意義ある生き方をする上で向き合っていかねばならぬものです。なぜなら例え自室や山奥の小屋に引き込もったとしても結局人は社会に対して何らかのスタンスを持ち生きていくに違いないからです。どんなに傍観者的立ち位置を決め込もうと、悲しいかな、人は社会的生き物であるという現実からは逃れられません。また先に書いた記事で「共感力には段階がある」と書いたとおり、この社会性という語も、人によってどこまで社会性を働かせるか、という段階、もしくは方向性があると思います。
あなたにとって「社会性」とは、どこまでの意味を持ちますか? (この場合何らかの行動を取ってるかではなく、行動につながるほどの思考をどの辺で行っているかと捉えてください。)
❶ 家族や会社や職場や所属するコミュニティにおける個人的な関わりまで
❷ 世界との個人的な関わりまで
❸ 所属する社会(日本の場合、資本主義+民主主義というイデオロギーで形成される社会)全体が抱える問題や世界の問題まで
❹ ❸に人類の歴史(過去という時間軸)更に未来のビジョン(永続的な未来という時間軸)を掛け合わせた上で浮上する人類の根源的な社会的問題まで
ちょっと細分化し過ぎましたかな(汗)
しかしこのように、社会性といってもどこまでの意識をもってしてその言葉を用いるのか、人によって様々であるということです。自分の意識が関わる世界、生き方に影響が及ぶ世界の範囲です。
多くの人は❶の意味で使っているように思います。❷はグローバルで活動的な人の意識でしょうか。❸は社会的立場からくる何らかの影響力を持つ人が向き合っている場合がほとんどです。❹は、さらに俯瞰した世界の捉え方であり、哲学的問題を個人の人生観と照合するという意味です。この❹の意味については、頭で理解できても、自身の生き方に影響が及ぶ何かを心に形成するほどには考えていない場合が多いと思います。なぜなら多くの人は真剣に考える前に、自己の非力さを理由に「無意味」だと結論づけて思考放棄しているからです。生き方を変革する域に到達するまで思考せずむしろ必死に線引きすることに精を出して生きています。人とはそういうものです。また一般人にとって、そもそもこの❹までをじっくり考える機会自体がそうあるものではありません。特に、比較的恵まれた治安と高い生活水準が維持されているこの日本においてはそうです。むろん読書体験が引き金となって生き方に変化を起こしたり、生まれつき非凡な頭脳を持つゆえに日常的に思考したりする人は世界に確実に存在します。しかし一般人にとってはなかなかハードルが高いわけです。
この考える機会というものをエンタメストーリーで提供してもらえるとすればどうでしょう? 銀英伝はこれを体験させてくれる日本に存在する数少ないアニメの一つかと思います。(原作は小説なので小説もおすすめですがアニメが素晴らしい出来なので当記事での銀英伝とは、初代アニメ[劇場版二作品と第一期から第四期及び外伝作品]のことを指すとお考えください。作者田中芳樹は天才作家ですし歴史書物に造詣が深い方です。)ほとんどのアニメや漫画で描かれる社会性は❶であり、時々❷や❸です。かなり壮大なストーリーになると❹もありますよね。しかし描かれる場面の多さとして❹が目立つアニメはそれほど多くはないはずです。
表向きは、宇宙を舞台にした王道の英雄譚です。人類史上稀有な天才が、人類社会の頂点に立つまでの道のりを描く、いわゆる壮大な英雄ストーリーです。現存する政治体制を抜本的に変革し得る力を持つ孤高の戦争の天才と、天才に対峙し得る唯一の人物との銀河をまたにかけた国家戦略レベルでの頭脳戦を楽しめる歴史色の濃いSFストーリーなのですが、テーマは別にあります。(テーマとは、物語のコンセプトの背後に隠されている普遍の人間性に関わる概念や観念の意味で使っています。)これのテーマは、社会性とは何か、実存危機が迫る状況で人が取れる最善の選択とは何か、という哲学的問題なのですね。そこを濃厚に、かつ徹底的にドライに描いています。ウェットな要素はほとんどありません。
どんなに世界の構造や本質を頭で「理解」しようと、その知識と理解に「社会性=他者との関わり」を掛け合わせて自分自身の「最善の生き方」を探り、自己の倫理や価値観にその答えを落とし込み、実際の行動へ繋げていかなければ、真理を体現することにはならない。私はそう信じているため、このアニメがブッ刺さりましたね。
いまだに愛される銀河の歴史物語
以下、私の記憶のみで(登場人物の精神面に注目した)私的な視点から書いてます。正式な解説についてはぜひ上記のWikipediaをご覧ください。
〝常勝の天才ラインハルト〟 vs 〝腐敗の魔術師ヤン〟
舞台は未来の銀河系の星々に築かれた様々な国家。主人公ラインハルト・ローエングラムは、巨大な歴史を築いてきたゴールデンバーム王朝による専制政治社会、銀河帝国に生まれ、踏襲されてきた制度や権力者の愚劣さに触れ、誰よりも速くその無意味さを察知し絶望し、自身の手で歴史を塗り替える決意をします。銀河全体に優れた政治体制を敷くというビジョンを作り、それを成し得る自らの才能に未来を誓います。それは専制政治への抜本的改革に留まらず別の星である民主主義国家まで統制する銀河統一の夢です。が、これを当然許さない別の星の民主国家側にこの何千年に一人レベルの非凡な才能に唯一対峙し得る人物がたまたま存在したがため、壮大な国家規模の艦隊戦が繰り広げられるなかラインハルトは幾度となく苦杯を舐めることになります。その人物が、年金生活を夢見るまったくもって軍人らしからぬ非凡な軍事才能を持つヤン・ウェンリーです。
この話の面白いのは、独裁国家に対し民主国家が対峙する主軸の構図だけでなく、それを傍観し利得のみを得んとする経済至上主義国家の存在も不気味なまでに生々しく描かれ、他にも宗教団体を始め人間社会が生み出すあらゆる思想や価値観が盛り込まれ、様々な思惑が交錯し、対立や共存やその歴史的変化の意義を問う形にストーリーが仕上がっていることです。
勧善懲悪とは遠い世界観を描くエンタメ作品はむろん主流ですが、そこに過去の人類の歴史と未来の可能性という時間軸概念を加味しありとあらゆる価値観同士の力関係や因果法則をユーモアと皮肉を交えて徹底して描いているので含蓄があり、キャラが立ちすぎるほど立っている魅力的な登場人物と機知に飛んだ台詞の数々に一気に引き込まれるわけです。
常に、「最善の生き方とは何か?」を問いかける台詞ばかりです。
恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できた。吾々が次の世代に何か遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和が一番だ。そして前の世代から手渡された平和を維持するのは、次の世代の責任だ。それぞれの世代が、後の世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の資産は食いつぶされ、人類は一から再出発ということになる。
要するに私の希望は、たかだかこの先何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分の一の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。
大樹の苗木をみて、それが高くないと笑う愚を犯しているかもしれんのだぞ。
私が身近に接したことのある銀英伝ファンの九割は男性で、そのうちの七割は英雄譚と艦隊戦の面白さに魅了されてた人なので、彼らとは好きな鑑や人物以外の話題が続きませんでしたが(私も戦艦が大好きなので当然ヒューベリオン推し推しですが)旦那とは今でも銀英話で盛り上がることがあります。また世間では未だにリメイクアニメ、豪華キャストによる舞台化などが続き人気が絶えないようです。
何百年かにひとり出現するかどうか、という英雄や偉人の権力を制限する不利益より、凡庸な人間に強大すぎる権力を持たせないようにする利益のほうがまさる。それが民主主義の原則である。
精神のレベルを考えてみる
民間人
もし世間一般の人々のことをつい「民間人」と呼んでしまう人は十中八九銀英ファンでしょう(強引すぎるか笑)。
国家間の戦争に翻弄される人々は、与えられた社会の小さな枠の中で、経済市場に組み込まれた何らかの組織の一員として生活しており、多くはその生き方に疑問を持ちません。枠が誰によりどんな思惑で形成され何のために存在しどこへ続いているかを理解していませんし知りたいとも思っていません。帝国だろうと同盟だろうとみなそうです。作られた社会の歯車として人生を生きているという現実を直視せず人生観の再評価をせずに毎日を過ごします。人類の七割近くがこれであるという点と作品世界の描写の一致を感じます。しかしそれとは別に社会の矛盾に気づき命の無力さに絶望し苦しんでいる人がおり、これは水平軸の疑問を発生させて精神が不安定になっている状態です。
総参謀長閣下。私思いますに、どの様な上着をまとおうとも、政治の実相は一つです。
ほぉう、それは何か?
少数による多数の支配です。民主共和制は、自由意思による多数派の支配を謳っているが。全体を100として、そのうち51を占めれば多数による支配を主張できます。ところが、その多数派もいくつもの派閥に別れています。即ち、その51のうち26を占めれば、100という全体を支配できます。
「人の皮を被った白蟻」「小悪党」と言えるような人物
人類の文明が生んだ最悪の病は、国家に対する信仰だろう、と、ヤンは思う。だが、国家とは、人間の集団が生きていく上で、たがいの補完関係を効率よくすすめるための道具であるにすぎない。道具に人間が支配されるのは愚かしいことだ。いや、正確には、その道具のあやつりかたを心得ている極少数の人間によって、大多数の人間が支配されるのだろう。そんな連中にユリアンが支配される必要はない、と、ヤンは思う。口にこそ出さないが、ユリアンがフェザーンのほうに住み心地のよさを覚えたら、同盟など捨ててフェザーンの人間になってしまってもよいのだ、とさえ考えるヤンだった。
ユリアン:ヤンの養子
フェザーン:物語中、傍観的位置にいる経済国家
ジェシカ・エドワーズ
自由惑星同盟(民主国家側)で反戦運動に身を投じる女性キャラがいます。この女性は、国家の統治者に向けて疑問を抱くばかりでなく、反戦政治家として立ち上がります。権力者が立場を利用して私腹を肥やし戦争の犠牲者を無闇に作っていること、傍観する立場でのうのうと生きている責任回避の態度を、直接糾弾します。一般市民とは対照的に、社会の矛盾や歪みを鋭く察知しそれを自分自身の問題として扱い権力者に指摘できる勇気と感性と能力を持った人です。社会を改善するために悩み苦しみ、何かを成そうともがき率先して他の理想主義者を導いてゆく、人類の中で数少ないグループに属する人でした。彼女にとって個人の安寧は小さな問題です。日々痛感する非力さに負けず前を向き闘います。恋人を戦争で亡くした深い悲しみを乗り越えて他者の幸福のためにできるだけのことをしようと決意し人格を高めた人です。一般市民の意識からは精神が分離して一段階高いところにいるとしか思えません。
ラインハルト・フォン・ミューゼル(ローエングラム公)
主人公はいわゆる稀代の天才です。伝統の故に獲得した立場や権力に甘んじて生きる精神の腐った貴族と血縁による踏襲制を解体して、銀河全体に善政を敷くドラスティックな改革を志し生きます。それを可能にする才能と知性と精神力を自覚し、それを世界をより善きものとするために活かさんとする、ある意味誰からも真の理解を得られない孤高の先駆者でもあります。英雄譚によくある設定だとは思います。
彼の精神は、社会の矛盾や善悪の葛藤を若き日に乗り越えており、比類なき主体性をもって突き進むので、彼について来られる人は限られているのですね。彼の中にあるマキャベリズム精神を助ける人物、逆にそれを叱咤し人格者であらんことを思い出させる人物が各一人ずついるのと、その高い精神に同調し従っていける数少ない人物が出揃い歴史を塗り替えていきます。 (まあここが、話の表側主軸ストーリーです。)しかし彼の弱みは高い精神性にもかかわらず、幼児性にも見えるある強い感情を持つこと。その感情を支えていたものを二重に失った時、自己の支えが全て崩壊してしまい精神の危機を経験するのですが、この時の苦痛の程度は想像しただけでも恐ろしいです。既存の人生観を崩壊させ新たなビジョンに更新しないと決して先に進めるはずがないですね。精神状態を崩壊させ高次な精神として統合させなければ生きていけない、まさにその場面が描かれているように思いました。
名君にとって最大の課題は、名君でありつづけることなのである。名君として出発し、暗君または暴君として終わらなかった例は、ごく珍しい。君主たる者は、歴史の審判を受ける以前に、自らの精神の衰弱に耐えねばならないのだった。立憲君主であれば、憲法や議会に責任の一部あるいは大半をゆだねることができるが、専制君主がたのみうるものは自分自身の才能と器量と良心のみであった。最初から統治者としての責任感を欠く者ならかえって始末がよい。名君たろうとして挫折した者こそ、往々にして最悪の暴君となるのである。
ジークフリート・キルヒアイス
個人的に、帝国側の若い主要人物で一番の人格者と思えた人物です。ラインハルトの片腕であり全ストーリー上なくてはならない人物ですが、ラインハルトより精神年齢も人格も上だと思えます。この人物を通して、また超自然体な人ヤンを通して見ると、誰よりも高く見えるはずのラインハルトが幼く感じられる現象がこの話の裏の面白さでもある気がします。天才が掲げたビジョンの奥に何か根源的な利己的願望への執着が垣間見えるせいでしょう。宇宙を手に入れる目的が母性的愛情不足を埋める唯一の手段なのではないかという疑念を視聴者に呼び起こすところが(私だけかもしれませんが笑)得体の知れない気配となって背後にそこはかとなく漂っています。
……と、まあ内面にのみ寄った偏屈なキャラ説明を続ける気はないのでこの辺にしますが、実存危機が否応なく迫る立場に置かれたとき、さて自分はどうするか。それを省みることもできる物語設定であり、(例え創作であっても)人類社会の歴史的規模の変化を俯瞰することで、人間には様々な精神の特徴やレベルがあることを比較できる面白さと奥行きがこの作品にはあると、今思い返して改めて強く感じます。(作者の歴史や文学の知識が全面に色濃く活かされてるため、架空の要素がありつつも現実的な軍用法──地上の戦線、陣形などに基づき描かれるため、作品はあくまで「リアル」で「歴史的」なわけです。そこが他の多くのSFアニメとの決定的な違いです。)自分だったら誰の精神に同調するのかを考えてみることができるのだな、と観終わって二十年以上経った今再び想いに耽ってしまいました。
息子がいつか「そういや、うちは両親ともこれが好きだったな、観てみるか」となれば良いなと夢見ていますが、この大人風味の皮肉に満ちた世界観をあじわえる年齢になるのはまだまだ遠い先の話ですねぇ。
予言者より実行者のほうがはるかに意味のある生をいきているのは、自明のことではないか。
真面目半分、お遊び半分の妄想
このような宇宙規模での戦乱の世にもし自分が生まれていたなら、自分はどの精神レベルで生きていたのかなとつい考えます。そして命の無意味さがリアルに現実として迫るときどうするのが最善の生き方と言えるのか考えざるを得ませんね。この場合、もし艦隊戦のなかに身を投じるなら、どこに属し誰と命運を共にするのかの選択と言えましょうか。忠誠心や信念の恐ろしさを身をもって経験することになりますね。一方で忠誠心や信念を持たない人間の狡さと弱さも垣間見ることになります。
だが、何かをなそうとするときには、思考停止が必要なようだった。多くは、人が「信念」と呼ぶものである。自分は正しく、反対する者は悪だと思いこまねばならないとすれば、ヤンは大事業などできそうになかった。
「信念とは、あやまちや愚行を正当化するための化粧であるにすぎない。化粧が厚いほど、その下の顔はみにくい。」
「信念のために人を殺すのは、金銭のために人を殺すより下等なことである。なぜなら、金銭は万人に共通の価値を有するが、信念の価値は当人にしか通用しないからである」
世界の悪を一掃せんとする勢いの完全な君主政治を支持するのが最善か、欠陥と腐敗に満ちた民主政治を保持するのが最善か、──究極の選択がテーマの一番奥に潜んでいると思います。当時の私は、善悪を公正に裁ける全知全能の神でもない限り一人間に人類全体の専制統治の実権は許されない、だから私は同盟側にいたい、なんてそんなことを思いながら観ていましたね(笑)
また、改めて「もし自分が銀英伝キャラに転生できるなら妄想」をしてみれば……。私はローゼンリッターの隊長シェーンコップになりたかったかもしれない。
フッ。変わった人だとは聞いていたが、失礼ながら提督、あなたは余程の正直者か、さもなければルドルフ大帝以来の詭弁家かどちらかですな。
まぁ、期待以上の答えはいただいた。斯くなる上は、微力を尽くすとしますかな、永遠ならざる平和のために。
結局のところ、あなたたち権力者はいつでも切り捨てるがわに立つ。手足を切りとるのは、たしかに痛いでしょう。ですが、切り捨てられる手足から見れば、結局のところどんな涙も自己陶酔にすぎませんよ。自分は国のため私情を殺して筋をとおした、自分は何とかわいそうで、しかもりっぱな男なんだ、というわけですな。『泣いて|馬謖《ばしょく》を斬る』か、ふん。自分が犠牲にならずにすむなら、いくらだってうれし涙が出ようってものでしょうな。
むろん白兵戦は得意じゃないのですが(訊いてない笑)、出来るなら同盟軍の最前線に立ち命がけで闘う「信念」嫌いの提督を護るために自分の力を使いたかったですね。ヤン提督の意志を受け継ぐユリアンの立場も魅力ですけど(ある意味彼がこの話の本当の主人公)、民主主義精神の存続に否応なく尽力することになる、それでいて誰より信念を持ち身を捧げる非凡な人物を直接的に護ること以上に、生き甲斐など得られなかったのでは? とつい考えてしまいます。世界を善き方向へと変え得る稀有な才能を武力を行使することで率先して護りたいなんて、そんな立場につい魅了されてしまうのは、これも刺激追求性HSS因子の仕業でしょうか。まあ結局は、戦火が直接降りかからないぬくぬくな別次元の部屋から好き勝手な感想を述べてるに過ぎないわけですがね。ジェシカに「あなたはどこにいます?」と指を指される権力者や、自己の信念のために数万人の命を引き連れて散っていく陶酔型英雄にだけは、間違ってもなりたくないですね。……そもそも私は女やが(笑)
ヤンは自らを顧みる。どれほど多くの敵と味方を殺し、どれほど多くのものを奪い、どれほどの回数にわたって敵をあざむいたことか。それが現世において免罪されているのは、単に、国家の命令に従ったから、という一時によるにすぎない。まことに、国家というものは、死者をよみがえらせる以外のことは、すべてなしうる力を有している。犯罪者を免罪し、その逆に無実の者を牢獄へ、さらに処刑台へと送りこみ、平和に生活する市民に武器を持たせて
戦場へと駆り立てることもできるのだ。
軍隊とは、その国家において、最大の組織された暴力集団なのだ。
「なあ、ユリアン。あんまり柄にない話をしたくはないんだが、お前が軍人になるというのなら、忘れてほしくないことがある。軍隊は暴力機関であり、暴力には二種類あるってことだ。」
「いい暴力と悪い暴力?」
「そうじゃない。支配し、抑圧するための暴力と、解放の手段としての暴力だ。国家の軍隊というやつは・・・・・・」「本質的に、前者の組織なんだ。残念なことだが、歴史がそれを証明している。権力者と市民が対立したとき、軍隊が市民の味方をした例はすくない。それどころか、過去、いくつもの国で、軍隊そのものが権力機構と化し、暴力的に民衆を支配さえしてきた。昨年も、それをやろうとして失敗した奴らがいる」
剣よりペンが絶対に強い、と信じるヤンであった。
真理などめったに存在しない人間社会で、これだけは数すくない例外だと思っているのだ。
「ルドルフ大帝を剣によって倒すことはできなかった。だが、吾々は彼の人類社会に対する罪業を知っている。それはペンの力だ。ペンは何百年も前の独裁者や何千年も昔の暴君を告発することができる。剣をたずさえて歴史の流れを遡行することはできないが、ペンならそれができるんだ」
「ええ、でもそれは結局、過去を確認できるというだけのことでしょう?」
「過去か! いいかい、ユリアン。人類の歴史がこれからも続くとすれば、過去というやつは無限に積みかさねられてゆく。歴史とは過去の記録というだけでなく、文明が現在まで継続しているという証明でもあるんだ。現在の文明は、過去の歴史の集積の上に立っている。わかるかい?」
中途半端に歴史を学ぶより歴史の勉強になるアニメです。
あなたは何百万人もの人を殺したかもしれないけど、すくなくともわたしだけは幸福にしてくださったのよ。
名言を振り返るうち最後これを思い出しついに涙腺崩壊。
つまるところ、みごとな死というものはみごとな生の帰結であって、いずれか一方だけが孤立することはないように思える。
たぶん人間は自分で考えているよりもはるかに卑劣なことができるのだと思います。平和で順境にあれば、そんな自分自身を再発見せずにすむのでしょうけど……。
究極を考えなければ人間の本質は決して見えないと私は常に思っている。
最善の生き方とはつまり、永遠ならざる平和のために、自分には何ができるのか? それに真剣に向き合うことかと思う。(←真面目)
……壮大なストーリーを振り返るうち、なんともし難い哀愁を覚えてしまった水那田でした。(泣)
お付き合い頂いた方、誠にありがとうございました! またこれを読んでしまった銀英伝ファンの方いましたら偏った感想やお粗末な作品解説、大変に失礼いたしました。(※タイトル画像はAIによるイメージ画像です。作品中の特定の旗艦を描いたわけではありません。)