【NOTEより移管】自己観測記録:興味関心の行方。

NOTEには思索記事ひとつを残し日記をすべてこちらに移動しました。
しばらく模索中のため様々な変更あり。

ここ数日、とても心の中が静かで、穏やかです。悲しみも喜びもすべて遠くに去ってしまったように感じられます。音がしないのです。いつも鳴っていた頭の中の声がまったく聞こえません。だから、ここを作ったというのに書く意欲や活力というものも起こらず放置していました。
心の海原が凪いだ状態のなか私は思いました。薄い感覚の中でおそらく一番強い志向性を示すものは、やはりまた脳の内面に向かう道なのだろうと。今の私の現象が一見「エナンティオドロミア」の概念に適合していることからユング心理学に関わる本や動画を探り始めていました。これが単なる極限から極限への反転や逆転の現象ではなく、精神の深い闇と激痛後に成長の証として現れるものであろうこと、そんなことを探ろうとしていました。加えて人々の言動の中に垂直軸から見える精神段階の有りようを感じ取るため、同じ言葉を使っても段階の違いで意味のズレや齟齬が起こる仕組みについて、そういった内容ばかり考え始めていました。やはり自分の中で人並みの興味関心や楽しみが再び強まるとしたらこの方向へ進んでしまうことがよくわかります。私の中で何かが目覚め始めてるような気配すら少しあります。
そんななか、頭の隅で微かに警告音を聞いた気がしました。私はあれほど強く「抗おう」と決意してたはず。自由意志の力で。記憶はそれをしっかり残しているんですね。

……そうです、駄目です。脳の志向性に「逆らう」道こそ私が進む道だと思い直さなければ。ことの始まりは、昨年の春ちょっとした気分の向きで始めた自己探求でした。今回もちょっとした気分に導かれるまま深みに陥り私の生き方が変わってしまったら、今度こそ本当に変わってしまったら、それこそシミュレーションを繰り返しながら自己観察している「宇宙の意識」が仕掛けた罠の中に、恰好のサンプルとして自ら飛び込むようなものです。自己観察だけが趣味の変態宇宙野郎の材料になるだけです。だから私、これから本当にどうすればいいか? と悩んでいるような気持ちにあえてなってみるのです。本当は何もかも強く感じられないので何ひとつ切迫するものはないのですが、真剣に悩んでいる体を装い自分を騙していこうと、ふと思ってしまった蒸し暑い六月の夕暮れなのでした。

心理と精神の話は、「物語」という風呂敷できれいに包み、記事には「創作」という風味付けをして味わってみるのがよいでしょう。今後のわたしにはそれがよいでしょう。

いずれ自分の作品への考察などを書いてみようかなと思います。物語は円環構造でできており、宇宙もひとの精神も円環構造で、かつ自己相似性を持つものであること。それを物語の中で紐解くことで、精神のバランスが取れるはず。きっと今度こそ、穏やかに歩いてゆけるはず。

ここnoteでは、誰もが興味関心が向くトピックで記事を書き綴り、気持ちが自然と赴く分野で創作活動に邁進されていることでしょう。脳の志向性に抗いながら何かを書く道を選択する、そんな人間はやはり変人といえるのかもしれません。