失くしたもの。

健康状態もよく、前向きな思考でいられて、関わる人たちからは感謝され、シンプルだけど快適な毎日を送っている私。文章を書くときもポジティブなことしか書かない。それでいい。いつも頭の中は閃きと意欲に満ちている。──けれど、ふと。もっとずっと心の深い場所に潜んでいる哀しみのような感情があることも知っている。普段は目を背けているものだ。それらを吐き出す場所があってもいいのではないか、と思う。

どんなに満たされていても、人は必ず『今、自分に足りていないもの』を見つけ出してしまう。人間の性なのかもしれない。考えるということは疑問を持つことでもあるのだから。

最近、パソコンを新しくしたりスマホも変えたり、デジタル周りを色々工夫している流れで、ふと『失くしもの』に気づいてしまった。昔から大切にしていたCD数枚がない。サブスクなどでは聴けない音楽だ。私の思い出が沁み込んだ宝物みたいな音楽だ。新しいパソコンに取り込もうとして探したが、どこへやったのだろう。全然見当たらない。あまり覚えていないけれど人に貸してしまったのかもしれない。それなら返してもらわなければ。

この年になると変わってくるものに気づいた。思い出が詰まった物品への愛着というものが若い頃の比ではないのだ。自らの手垢が染み付いた物を、自分が生きてきた証のように感じてしまうのだろうか。CDだけじゃない。大事にするためにあえて外していた指輪も見つからない。『失くしたもの』に気づいて、それらを思って辛くなるときがある。普段の生活のなかでは別段困ることもない、それら。けれど確実に私の心の一部を作っていた『物』だった。

また、なんでもないときに、ふっと見つかるのだろう。そう思って耐えている。

……なんだか、取り止めもないことを綴ってしまった。けれども、たまにはこういう不本意ながら心にできてしまった轍のような感情を書き記しておくのもありかもしれない。字を書くこと、文章を綴ることは、それ自体が癒しになる。気持ちの整理になるし、もやもやを消化できる。人間が文字を書くことって当たり前すぎるけれど、素晴らしいことなんじゃないかな。