BUMP OF CHICKEN「HAPPY」に見る幸福論。

こんにちは、ねこです。

このブログ『透明な音学』では、好きな音楽と本を取り上げて書いています。今回は、哲学したくなる音楽の第1回目として、なかなか深い意味の歌詞を持つBUMP OF CHICKENの1曲を取り上げてみたいと思います!

2010年のアルバム「COSMONAUT」の8曲目に入ってる楽曲ですね。このアルバムは名曲揃いで大のお気に入りアルバムです。(ちなみにアルバム中最も好きなのは『66号線』です。)

寄り添ってくれる音楽

まず初めに、私はふだん日本のバンドで聴くのはこのBUMP OF CHICKENとスピッツくらいです(+backnumber、SHE’S)。なので、世間で聴かれている多くのバンドの楽曲たちと比較しての批評をしているわけではないです。

また、この記事に書いてる解釈めいた内容はすべて私の独断と偏見によるもので、1ファンによる身勝手な見解に過ぎないことを思いに留めておいて下さい。

BUMP OF CHICKENって本当に、傷ついた心を引きずって生きてる若い人たちにどこまでも優しいバンドだと思うんですよね(私自身は若者とは程遠い年齢ですが響きます)。

その理由は、例えば、何かにつまづいて前に進めなくなった人に向けて歌われる多くの歌にありがちな「きっとできる」とか「諦めるな」とか、いわゆるがんばれソングとして背中を押そうとはしないからです。

BUMP OF CHICKENの場合、背中を押すのではなくつまづいてる人のそばに寄り添って今見ている景色を自分も一緒に見てあげるという、そういうスタンスの歌詞が多いように思います。

そして、できない人間に向けて「自分を信じて立ち上がれ!」ではなく「そのままでいいよ。それでも君には価値があるよ」と言ってくれてるような安心感があります。そんな、ありのままの自分を全面的に肯定してくれる優しさに溢れている、そんな楽曲が本当に多いと思うんです。

つまづいてる人に対し決して無責任な励ましを与えない、それがBUMP OF CHICKENだといつもそう感じます。藤原基央氏の紡ぎ出す言葉にどれほど感嘆、心酔してきたやらしれません。

その中でも一際目立っていて、哲学の域にまで踏み込みそれを表しているのがこの「HAPPY」という1曲のような気がします。

  1. 「HAPPY」は誰に向けて語っているか?
  2. 「HAPPY」が語る幸せとは何か?
  3. 「HAPPY」が語る生きる意味とは何か?

主にこれについて、書いてみたいと思います。

傷ついた心を引きずり生きる大人

この曲は藤原基央氏からのメッセージだとするとそれは誰に向けられているか?

少年はまだ生きていて命の値段を測ってる

少女はまだ生きていて本当のことだけ探してる

『健康な体があればいい』と願う大人になっても、まだ心の中に傷ついた少年やナイーブで繊細な少女を心に抱いたままの生きづらい人。そんな人に向けてだと思います。

誰しもそういう部分があると思います。人の心の中にあるこの『少年』や『少女』の存在をわりと真っ向から取り上げて語りかけてくれる曲がBUMP OF CHICKENにはいくつも存在します。

この「HAPPY」では、あからさまにそれを歌っているんですよね。

幸せが永遠ではないという衝撃

幸せって、生きる意味だと普通捉えられます。そして、この生きる意味は『普遍的なもの』として考えるので多くの場合幸せとは「一度掴んだらずっと変わらなく続く壮大なもの」というイメージがついていたりします。

例えば、「幸せになりたい」と人はよく言いますよね。目指すゴールが幸せだというわけです。この場合、幸せは1度でいいから一時的になってみたいという意味ではなくそれを掴んでずっと離さない状態になりたいという意味を含むと思うのです。

ですが、藤原基央氏はサビでさらっとこう歌います。

悲しみは消えるというなら

喜びだってそういうものだろう

「いつか悲しみは消えるから前を向いて歩こう」と歌う歌は世に五万とあります。これは悲しみの後に喜びがあることを匂わせてます。なのに、そこへわざわざそれなら喜びだって同じく消えるものなんだよと言い添える意味って何なのでしょうか?

初めてこの曲を聴いた時はとても衝撃を受けました。

え?え?今の何?って気持ちになってそして気づきました。この皮肉なサビの部分にこそ、この曲に込められた意味が凝縮しているのだと。

『喜びは消えるもの=悲しみと大して変わらない』

一見シニカルで絶望的にも見えるこの歌詞の意味。曲のサビでわざわざ喜びなんて永遠なものではない、余計な期待はするもんじゃない、と歌い上げている曲って他にどれほどあるでしょうか?

曲のタイトルはHAPPYです。HAPPY(幸せ)とは喜びのことです。つまり、幸せなんて永遠のものじゃないという意味がこのタイトルに確実に含まれていることが窺えます。

傷ついて心に鍵をかけてしまった子どもの心を抱えたまま生きている大人、死にたいとまで感じる日々もある、すべて終わらせたい欲求もある、どんなに気持ちを整理しようとしたって気づけば陽が上り日々は過ぎていく。

それなら、生きる意味ってどこにあるのでしょうか?

寄り添う人がいればいい説

それが人でも、音楽でも何でもいいのかも知れません。結局、幸せを追い求めるばかりに傷つきボロボロになった心を引きずって生きている、そんな人生でも寄り添う何かがあればいいのでは? と思わせてくれるのがこの曲の圧倒的な懐の深さを感じる2番最後のこの部分です。

どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう

happy birthday

happy birthday

……

喜びだって幸せだって結局人は死んでしまうものだからいつか確実に終わるものなんです。

だけどその短い旅も、一緒に歌ってくれる(寄り添ってくれる)人がいるなら、それが

HAPPY

……なんだと。

得体の知れない存在に必死で祈ったりしても答えなんてそこにはない。神なんていないんだから。それより確実なのは、

今自分に手を伸ばしてくれるその人の手をしっかり掴み離さないこと。

それこそが肝心。それが死にたくても生きていくことの意味なんだと。

happy birthday

そして「誕生日おめでとう」。

こう歌われているのはなぜでしょう?

もし君が這いつくばってでも誰かの手を取り必死でここまで生きてきたのなら、そのままの姿をお祝いしようよ、おめでとう、ここまでよく生きてきたね! 幸せじゃなくても特別じゃなくてもそんな君が最高に素敵なんだよ、ありのままで一緒に歩いて行こうよ。

そんな語りかけが聴こえてくるようです。

優しい言葉の雨という救いと現実

Bメロの歌詞にこんな部分があります。

(個人的にメロディーが一番好きでグッとくる部分です)

優しい言葉の雨の下で 涙も混ぜて流せたらな

優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま

優しい言葉の雨は乾く 他人事のような虹が架かる

なかなかしんどいこの人生の途中にも、優しい言葉を雨のようにたくさんかけてくれる人がいる、という救いがちゃんと描かれているんです。それは同時に虚しいものでもあるけれど、大切なものでもあるように思います。

しかし無論優しい言葉がすべてを癒してくれて傷が治るわけでは決してありません。実際は傷は傷のままだし、誰かの言葉によってなくなってしまうほど容易い問題じゃないんです。それでも、

終わらせる勇気があるなら

続きを選ぶ恐怖にも勝てる

もし、死ぬほどの勇気があるなら生きる決意だってきっとできる……と藤原基央氏は歌います。それが例え『借り物の力でもかまわない』と、『空っぽを抱きしめたまま』でもかまわないんだと、そういう言葉がラストにたたみかけられて曲は終盤に向かっていきます。

生き続ける意味

曲の最後にこうあります。

消えない悲しみがあるなら

生き続ける意味だってあるだろう

ここで、喜び、すなわち幸せは続かないもの、いつか終わるものと先に言っておきながら、それでも生きる意味をその中に見出す賢さも人は持っていることに気づかせてくれます。

消えない悲しみとは、心で作り上げたものなんですよね。それに苦しむというのなら、結局は消えない喜びだって作り上げて生きていくことだってできるんだ……と、考えてみることもできます。

真っ向から生きる意味を問いかけている、なんて哲学的な歌なんでしょう。BUMP OF CHICKENの数ある哲学ソング(勝手にそう呼んでいる)の中でも突出して意味深く人間の本質に切り込んだ内容の歌詞です。本当に大好きです。

まとめ

結局のところ、苦しい現実をなんとかしようと喜びや幸せを求めて必死に祈ったって、そこに「生きる意味を知る」という救いはないのです。それよりも人生で大事なことはただ一つ、

大切な手をとること……。

そう訴えているようにも思えるこのBUMP OF CHICKENの曲は、あまりに現実的でアイロニーな意味合いを持ちつつも、嘘のない優しさに満ちている素晴らしい楽曲だと思うのです。

『曲は鏡だ』と藤原基央氏は言っているそうです。その心の様が映し出されるので聴く人によって様々な景色が見えるし解釈が生まれます。

私も音楽ってそれでいいとずっと思ってきた口なので、今回のブログの内容はいい歳した1大人が語る曲の印象や解釈としておいて欲しいと思います。

……哲学したくなる音楽。

次は、またBUMP OF CHICKENから取り上げたいと思います。たぶん「オンリーロンリーグローリー」かな? たぶんです(笑)

では、また。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました‪^ ^‬

追記:2024年4月28日夜のこと

実存的うつに苦しみ、精神と身の置き場がなく事実上の家出までしてからその帰り道、私はなぜかふとこの数年前に書いたブログ記事を見返していました。そして新たな解釈が加わったので記しておきます。

happy birthday

これは、苦しみも喜びも結局は同じことなのだと知って、それを心に受け入れた、「新たな自分」の誕生を祝っているのだな、と。私自身が頭が焼けつくような苦悩の中、それを思い見ることで答えへと向かい始めたので、この歌の歌詞の「誕生日おめでとう」の意味がそう捉えられてしまったのです。これまでの人生観と完全におさらばして新しい自分に生まれ変わる……ちょうど積極的分離について考えていた真っ最中でした。

命は貴重だけども人生は虚しいもの、それでも生きていける勇気を自分の中に創り出せたなら、それは新たなる自分なのです。新たな自分の誕生を祝おう。それは誰にも気づかれない密やかな誕生だけれど、それでいいのだ。自分だけで盛大に祝おう。

──本当に、藤原基央氏の言葉はどこまでも奥深い。日本中の若者の歌でありながら、私だけの歌であるのだと感じています。