どこかにいる誰かのために

※先回の記事『真夜中の手紙』の最後にプレビューリンクの形で載せていた下書きを、きちんと公開することにしました。既読の方はスルーしてください。


今後このnoteにてなすべきことがはっきりしたので一度まとめます。HSPシリーズなど、何かの解説や説明とはまた別の、↓ 以下のマガジンに加えていく文章の「書く意味」について。

少数派の中のさらに少数派である孤独な誰かのために「あなただけじゃない、私がここにいる」と慰めになるようなテキストを書く、たった一人しかいないかもしれない誰かのために書く、ということ。このnoteが存続する限りテキストは残ると思うので。

「共感」について

主に発信のためのプラットフォームにおいて、人は多くの読者や視聴者から「共感」を買おうとするのが当たり前です。なぜならたくさんの方々が必要としている情報や、自分の中から誰かに伝える価値がありそうな事柄を抜き出して発信しているからです。
もちろん多数派でなく少数派のために熱心に発信している方も多々いらっしゃいます。それでも、一人でも多くの少数派の方に届けたい、という願いのもとに発信していることと思います。自分の個人的な体験や考えを書く場合でも、誰かからの共感が得られたら嬉しいのが普通です。プラットフォームの機能自体が、イイねをつけてもらい共感を得て継続の励みを得る仕組みになっています。

元々私は自作の小説の売り込みにすら興味がない人間で、自分にのみ認められる価値に意味があり(いわゆる芸術家気質みたいなものです)noteにも『恥ずかしさ物語』などを平気でアップする変な人間です。自己探求のシリーズも自分の心の整理のために書いていました。とはいえ、私にもある程度はそのような部分がありました。
過去に特殊な経験をしたこと、考え方や感じ方が変わってたことを書いてるときも、さすがにこれを書くとおかしな人と思われるとかここまで書くと最早信じてもらえないだろう、と感じる部分は極力控えてきました。伝わらないと思い隠してきました。だから開示した部分へ共感いただけると嬉しく励みになりました。しかし……。

心境が変わった理由

今後、もしフォロー頂いている方々から一人も認めてもらえなくても、誰にも理解してもらえなくても、もうそんなことどうでもいいように思います。完全に変な人と思われても誤解されてももうどうでもいいです。なぜなら……。

今年の春noteで書き始めてから自分の中にある深層心理を掘り起こしてしまい、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験しました。二ヶ月余りの間、頭が焼きつくような感覚を抱えており、生も死も同じ、と感じられる状態に陥っていました。強烈な孤独感に脳が焼き切れるかのようでした。頭部が熱を持っているのが分かり、いつ焼き切れても仕方ないし、実際頭にすごい圧力がかかっていて割れそうな感覚があり、度々キーンと鋭い音とドーンと鈍い音が交互に鳴るので頭が割れて今日死ぬのか、明日死ぬのか、と思っていました。夜中は更に苦悩がひどく、家の中に落ち着いて居られず叫んで外へ飛び出してしまったり、私の友である星や月を見たり小川の音を聴いたりしないと正気が保てず、暗い道を一人で歩き続けました。少し調子の良い日ですら、暗い部屋で架空の誰かに向かって泣きながら延々と話をしていたようです。息子から聞きました。そんなおかしな行動をとりながら恐怖と苦悩と共に過ごしてきました。

自ら命を断つことはしないと解っていても、生きているのも死んでいるのも同じように思えたため、意識の中で常に死が隣にありました。精神科医のお世話にならなかったのは理由があります。私は過去に二度同レベルの苦悩を経験しており、その中で生きることを選んだため、対処できる自信がどこかにあったからです。それでもとてつもない恐怖でした。

今はようやくそこから抜けて、安定した精神で文章を書けるようになっています。この経験を通してわかったことは、私以外にもこれほどの孤独と苦悩を経験する人がどこかに必ず居るだろうということ。そしてその人は、自分と似た人を探すことができず出会えることもなく孤独に苛まれているかもしれない、ということ。なぜなら、この経験や背景にある要因を細かに表現する力を持ち、アウトプットまでしている人はほとんどいないと思えるからです。渦中にある人はそれどころではないし、乗り越えたからといって表現するにはパワーと覚悟が要ります。

さいわい私にはその力があります。HSP研究書籍を読み込んで知ったのは、私はHSPの中の(インチュイティブ型がやや強い)エンパシーとエクスプレッシブの複合タイプだということ。

●インチュイティブ(直感型HSP)
分析や合理性や論理思考より速く「直感」で答えに到達する。膨大な情報処理を必要とせず不意の閃きにより素早く正しさを見出す。

●ビジョナリー(視覚型HSP)
明晰夢や現実と変わらないほどリアルな夢を見、視覚で捉えたものから強い印象と意味深さを得て、それを鮮明に記憶して表現できる。

●エンパシー(共感型HSP)
繊細で豊かな感情と共感的な欲動を持ち、強い共感力によって出来事や物事の背後にある意味を悟る。フェルトセンスが強く不思議な感覚を多く持つ。

●エクスプレッシブ(表現型HSP)
「美」の感覚を通してこの世の法則や意味を直感的に悟り、理解した真理を豊かに表現する。

まさかこの力が本に書かれていたとは驚きでしたが、これは世界中のHSPを観察して得られた統計による分類タイプなので何も不思議ではありません。HSPとはそういう人たちなのです。しかも私はHSPの中でも特に少ないHSS型(繊細なのに進んでリスクを取りに行く矛盾型)です。
中でもこのエクスプレッシブタイプの力を特段多く有しここnoteで発揮できると理解したため、この力を苦しんでいる誰かのために使いたいと考えました。

強まった無私の感覚

また、この春の経験を通して人生観も変化しました。自分の命や人生に一層固執しなくなったというか。これでも少し前までは「私の人生にはまだまだ長い時間がある。いつか文芸ジャンルで大長編を書いてみる」と意気込んでいたのですが、明日死ぬかもしれないという感覚のほうがずっと強くなり、それでいて安らかでもいられます。

苦しんでいる数少ない人を見つけ出す活動自体は、十代後半から何十年も熱心に続けてきたことです。結局「方法」は間違っていましたが、心の底には常に弱い立場にいる人に寄り添いたい願いがあり、それは多くの人から同情や共感を得られる「ラベル」の付いた立場にある人々に対するものではなく、ラベルすらなく分かりづらい存在として物陰で身を潜めている人に対する気持ちです。
「HSP」や「ギフテッド」もいわゆるラベルの一つですよね。ラベルのお陰で誰かに気づいてもらうことが可能ですから。しかしそのように気づいてもらえることが可能な、同情と共感と仲間を得ることが可能な人々の陰で、声をひそめて泣いている人がいます。何かと何かの境界にしか存在し得ない、何のカテゴリーにも属せない、あるいは複合型であり居場所を一つに絞れない、私みたいな人です。一つのラベルがつかないから誰にも見つけてもらえずにいるそんな誰かをわざわざ探し出して救おうとする人はいません。それには犠牲がいるからです。

『共感という病』という本を読みました。その著書は子供の頃テロに参加せざるを得なかった若者が更生をするための支援活動をしています。世界はむしろテロに苦しんだ被害者側に同情しますから、誰もこんな若者の存在を気にかけませんし、精神的に攻撃すらします。著者は数々の脅迫と攻撃に耐えながら信念をもって命懸けの活動を続けています。若者は参加しないと殺されるという理由でテロに加わった人が多いです。とても世間から理解してもらえるような状況ではありません。どれほど苦しくても他者から同情を買うことは難しいわけです。著者は、自分が彼らの理解者にならないと誰がなるんだ、と自身が若者であるにもかかわらず、誰も参加しようとしない(支援活動を望む仲間の希望者たちは、いかにも同情を買いやすい弱者への支援を選ぶ人がほとんどでした。そうすると『立派な行為』として世間から認められるからです。進んで不理解の道へ進む人など誰もいません。)この活動に身を捧げています。わかりやすい同情と共感の世界から、あえて誰にも理解されない、共感してもらえない支援活動の道を選び取りました。お陰で、更生すべき元テロ活動経験者の若者は確かに著者からの援助で助けを得ているのです。

世界には、その支援自体が世間から反感を買ったり、理解してもらえないものがあります。むろん誰しも弱い人を助けている立派な人と言われたいのでわかりやすい方へ流れるのが自然です。それはそれでいいのですが、少数派の中の更に少数派を助ける活動に、この著者の勇気に、私は心を打たれました。私もこうでありたい、と強く思いました。

特別なラベルもないのに、子供の頃から実存的うつを持ち、逆境的子供時代を体験し、精神上の数々の問題を抱え、かつ己の力でそれと闘い乗り越え成長して、精神が世間の人々より上段階にあり(積極的分離のレベル3以上にある段階)そのために常に他者との壁を感じ、つまり誰かと真の意味で理解、対等、共感を得られない。自分以外に真の仲間を持ち得ない。そんな誰か。その人はおそらく『クリエイティビティ』という心理学書に出てくる複雑型人間の特徴を持っているかもしれないし、HSS因子を持ってるかもしれない。それでもこのラベルのみを頼りにここ日本で仲間を探すのは至難の技です。

↓複雑型、矛盾型、は「創造性」と「フロー体験」に深く関わりがあります。私が書いた以下の過去記事を読んで自分と同じだと思った人は少ないかもしれません。おそらく何か感覚的に捉えたものを抽象的に、比喩を駆使して語っただけだろう、と思ったことでしょう。

猫による記録 『複雑型』
※この話は、私の脳内小人の一人「メタ思考使いのライター」が書いたものです。 その変種の存在と生態は、橋の下の泥まみれの家に暮らす研究熱心な猫により確認された。猫…
rainco.me

HSS型HSPを自称する人もその多くは快適な生活、ゆとりある人生、自分の幸せを守る生き方、の枠に収まろうと生きています。その証拠に、日本のHSS型HSP書では、『崇高さ』や『高すぎる向上心』や『強すぎる正義感』は「上手に隠して生きるように」と勧められています。一方、海外のHSS型HSP書では『積極的分離理論』を理解することがHSS型HSPには重要であることがしっかり述べられています。自分はどの段階にあるのか、と問いかける生き方が、高い向上心や創造的本能を抑え難いHSS型HSPには必要だというのです。この違いは何でしょうか?
日本の著者は、「カウンセラーである私の勤めはそこで起こる痛みを和らげることだ」とまで述べており、正直私は違和感を覚えました。痛みなくして得るものなし、の本質を理解しているのだろうか、と。(痛みを経験する者にとって、痛みを治められるのは己の力のみです。仲間や理解者の存在は大きな慰めになります。しかし痛みを無闇に取り去ることは退行することに繋がりかねません。)

結論

まさに今実存的うつに苦しむ誰かが、自分と同じ人がこの世に存在することを感知してもらえるように、私は進んで以下の自己開示をすることにしました。

  • 子供の頃いつどんな場面で何を考え何を感じたか、具体的なエピソード

  • 若い頃、他の人との精神年齢的な違いをどのように感じていたか、具体的な経験話

  • 内面にある矛盾した感覚と、刺激追求性、複雑型、創造性人間の特徴

上に載せた、自分の過去を書くマガジンに追加していきます。

これは、いわゆる横の分類(MBTIやエニアグラムやADHDやHSPなどパーソナリティー分析)の話ではないです。世間でほとんどされていない「人格段階」「精神年齢」という縦の分類の話です。
基本的には多数の人に、大げさだなとか嘘だろうとか自慢したいのかとか思われてしまうような類の話です。別にどう評価されようとかまわないです。たった一人いる同じ誰かのために書くので。それが届くのは何年後、何十年後になるのかもしれないです。大切なのは、明確な言葉で形としてそれを残すこと──。

ギフテッドの方のように明瞭で的を射た表現は私には使えません。(私が実存的うつの話や積極的分離理論の話題を持ち出すために、私の動向を見守っているギフテッドの方もいるだろうと思いますが私は高知能ではないので的外れなことを書くことがあってもご容赦頂けたら幸いです。)また、これはしがない一個人の(変人の)体験談に過ぎないため、もし読んでくださる方はその点にもご留意ください。

今後書きかけの小説の続きもできれば書きたいです。作品置き場である個人サイトの制作もしていて、自分の音楽作品も載せるつもりです。ここnote以外でも文章や音楽など何らかの創作活動をしないと私は生きていけません。(これも創造的本能からきています。溜め込むと重たくて息ができなくなるのです。)だからこれはコツコツ長期的に続けていく小さな活動であり気長なライフワークです。そして万が一再び深い孤独感が意識に浮かび上がり苦しむことになるやもしれません。それでも欲動を抑えることができないので必ず書くことになると思います。


この続きに書いたまとめも(しつこいですが)後ほどアップします。私自身の気持ちのまとめ、身勝手な文章にお付き合い頂いた方、ありがとうございました。今日も良い一日を♪