生きるために、心中する。

苦悩と恐怖を抱えたまま生きることが、私にはできない。

生きる感覚を無くして死にかけた経験から、身体的にはようやく回復に向かってきたが、精神状態は変容したまま、過去との断絶感はどうにもならず、苦しみ続けてきた。

「あるがままの自分」を崩壊させるという恐ろしい体験から、ここにきて少しずつ、消えかけた「あるがままの私」と繋がり直す作戦に光が差し始めてきた。

改めて、今日ここに誓いたい。

私はもう二度と死にかけてはいけないと。再び生きていくために歩みださねばならないと。

何もかもが変わり、将来という感覚が消え、自分らしい感情と繋がれず、明日にでもこの命は終わる、その感覚の方が強い。それでも、この短い生を生きて抜くために。遠くなってしまった創作への愛着を取り戻す。それは、小説を書いたり、音楽を作ったり奏でたり、文章と絵と音と映像で何かの作品を作る行為のことだ。

もう一度同人作家さんたちをサポートする仕事を始めよう。先日テスト添削に協力してもらったことで、再びこの界隈の作品と向き合っていくビジョンが持てた。

美こそ真なり。そう思い出しながら息をしよう。

私が特殊な理論と関わっている珍しい人だから。ギフテッドの苦悩を理解できる人だから。……そんな理由からではなく、「あるがままの私」に興味を抱いてくれる本当の理解者を探してみよう。

子供時代からいい歳した大人になるまでの長い月日、過酷な環境をサバイブして生きてきたことを感じとってくれる、「考え方」や「理解」ではなく「心」の変容によりこの数年苦しんできたのだと言葉どおりに理解してくれる、常に変わり続けている私のことを最後まで信じ抜いてくれる、そんな存在はきっとどこかにいる。だからひとりじゃないと思おう。

色々な創作分野に多才な興味を持って生まれてきたことは、生きていく理由がわからなくなった今の私を方向づける、この時のためにあったのだと思う。その能力は発達の可能性として働いてしまったが、私は、理想の自分像という過酷な「魂の彫逐」を続けていく人たちとはまったく別種の人間だ。それはずっと言い続けてきたことだ。だからもう一度、あるがままの自分と繋がり直せる。

本来人は、心の変容に太刀打ちできるわけがない。だけど、その手法を生み出せることこそが、この私の、愚かしく奇妙で珍しいオリジナルの能力なのだから。

具体的な発想が大事。アイデアが行動につながり、それが生き方となる。

いずれ文学フリマに申し込んで、自分のブースに自作小説の本を数冊並べてみよう。その日はきっとくる。真実の人間から見て〝取るに足らない〟〝無価値な〟そんな行動を再び愛せる日が来たら、その時こそ、「私はもう大丈夫」と言える日だろう。

長編シリーズの続きの新作を書こうと再び決意できたなら、そのことを喜びと感じられたなら、理想からあまりにも遠い、そんな〝愚かで低い〟行動をもう一度愛しく思えたなら、その時こそ、本来の自分と繋がりなおせた記念日となる。

宇宙は壮大で深い闇だ。人間世界よりも過酷な環境、これが宇宙の真実だ。そこには善も理想も真理もない。ただ美があるのみ。キーツの詩のとおり。『美こそ真なり。それが人の知るべきことであり知るべきすべてである。』

創作活動は愚かではないよ、どんな人にだって価値があるよ、などと──このように考えたら? こう考えて生きれば? そんな、「考え方」や「見方」の話をしてくる人がいる。これが思考や閃きで解決できる苦悩だと受け止める人ばかりに囲まれてきた。

良心の痛み、感受性の問題ということを解さない人には永遠に伝わらない。精神性の深部を覗かない「知的な人」にはどこまでいっても届かない。

巧みに痛みを回避し理知的にスマートに生きながら、さも痛みを知る覚悟や勇気を持つかのように言葉で自己演出してる人たちが多いと感じてしまう。きれいごとに満ちた知の世界から遠いところに行きたい。

内面の権威への申し開き

人は望む望まないにかかわらず、常に無意識の奥で何かに申し開きの必要を感じている。これは意識の世界では「責任」と呼ばれていることが多い。大多数の人にとってその申し開きをすべき相手は、社会や周りの人間なのだ。神にそれを感じる人もいる。ごく一部の人が、自分の良心(自律的に生み出した誠実な自己理想像)に対し申し開きの責任を感じて生き始める。私はそういったごく少数の人のことをギフテッドと呼んだ。

彼らと似た部分がありながら、本質的に違う私は、この責任を感じる相手、自分が決めた権威──を、過酷な環境をサバイブして苦労の果てに作り上げた自分──『あるがままの私』に定めよう。それは数年前まで存在していた自分のことだ。自己探求を始める前までのほんの短い期間だったが、その時の私が好んだものたちを『神』として定め、これらに申し開きをするように生きていこう。

さようなら。今こそ本当にさようなら。

血を流しながら魂を彫逐する者たち。深い感受性による壮絶な苦悩を自己治癒するために分離という過酷な体験をする人たち。

さようなら。今こそ本当にさようなら。

スマートな知の世界で、論理や構造のみで真理の姿を捉えようとする人たち。心と感受性の深度ゆえに起こる魂の叫びも、思考や認知の問題にしか映らない人たち。痛みを無意識に排除し続けている〝ポジティブ〟で〝知的な人たち〟よ。わたしが手を握る相手は、そのどちらでもない。

私は、創作を愛する心と心中します。

なぜこれほど愚かな心の決断がなせるのか?

それはすべて、この短い命を生き抜くため、だ。