安全地帯で没個性

HSS型HSPが最も嫌う生き方は、〝安全地帯で没個性〟だと思ったという話(※)。大多数に支持される価値観、自分で考えるより前から存在している一般的な理想や既存の社会規範に、『皆がそうしているから』という理由だけで従うこと。ステレオタイプやマジョリティーに安易に平伏すること。そうしていれば誰からも批判されないし、正しい道を行くのに労力最小限で行ける。非常にコスパが良い。「正しい人」でいられる。疑問を持たないということは、矛盾感や葛藤やジレンマと対峙しなくて済むこと。とても楽だ。

これを合理的な最適の生き方と捉え世間に迎合して生きる。皆が行っていることをし、皆の共感を得られることだけをし、あなたは良い人とのレッテルを貼ってもらう。認められ、受け入れられ、愛される。ひたすら他者からの「共感」を求めて何かをしている人はこのループの中で疑問も持たず喜びを得ている。(それはそれでいい。これは批判ではない。)

人は誰も自分に『自分らしさ』のラベルを貼りたい。だけど大人になるための自分探しの過程で、誰も極端を見ようとしない。一般的な法則から逸脱している事例を真剣に考えてみない。自分と真逆の構造を持つ人間については意識の外に追いやっている。自己探求において真逆は研究対象ではないのだ。究極の反対を知らないと究極の意味がわからないが(これは数々の科学的事実を明らかにしてきた実験や研究の方法がそれだ)、真逆や極端は例外として片付ける。なぜか。そんな暇ないからだ。加えて、中間辺りの違いばかりを考察、議論していれば安全でもあるからだ。その辺りにいれば恐ろしい痛みを知らずに生きていられる。

僕が思うに、苦しみを経験していない人間は、
本当の意味で大人になることはできないよ・・・
苦しむというのは、実はとても大事なことなんだ。

シュローダーの台詞『ピーナッツ』より

HSS型HSPは、しかしそこには真の創造性がないことを知っている。自分らしさを発揮する上で必要な「創造性」とは、真逆のものをじっくり観察し、理解し、矛盾を心に受容し、自己のうちにそれを統合し得たときに初めて生まれ出るもので、そこに打ち立てた自律心がつまり『個性』である。これを探し求めてもがいているHSS型HSPはまだ世間にたくさんいる。しかしHSS型は必ずそこに辿り着く。

HSS型にとって最も侮蔑すべきことは、『安全地帯で』『没個性』だ。世間で「自分らしさ」「個性」と言って呼ばれもてはやされているものだ。

(※)BUMP OF CHICKENの楽曲『モーターサイクル』に出てくるフレーズ。HSS型HSPにとってこのフレーズは心に刺さる。常にスリルを追いかけ、苦しみというリスクを受容する刺激追求型にとって、これほど侮辱的な言葉はない。自分はそこから脱するために生きているのだと、瞬時に生きる意味を悟る。

本音を書くといつも挑戦的な表現になってしまう。HSS型が挑戦している相手は常に、自分の中に住む弱き自分だ。特定の個人とかではなく。内面に築いた独立王国の中で自分へと挑戦を投げかけて生きるのがHSS型のやり方だから。さあ、精神の『量産型』から抜け出そう。